2014年7月13日日曜日

竹内・水本 (2012) 『外国語教育研究ハンドブック』の「第IV部:質的研究」該当部分のみまとめたお勉強ノート



質的研究勉強会が来週に院生有志で開催されるため、自分も『外国語教育研究ハンドブック』で質的研究に該当する第IV部を読んで、少しお勉強をしておくことにしました。本書を手にとったのは初めてですが、改めて必読書であったことを実感しました。(特に院試受験をするみなさん、少なくとも本書のt検定や分散分析、推測統計の章は読んでおくことをおすすめします~。)

外国語教育研究ハンドブック―研究手法のより良い理解のために
外国語教育研究ハンドブック―研究手法のより良い理解のために竹内 理 水本 篤

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細かい質的研究の方法論は、佐藤 (2008) やウィリッグ (2003) などの良書がありますが、本書は質的研究が依拠するパラダイム・認識論的前提も丁寧に述べているところが良いと感じました。そして、量的研究との共存のために質的研究者が留意すべきこともまとめられていて、自分の研究指針にも大変役に立ちました。(やはり、昨年に読んでおくべきだったorz)


以下、お勉強ノートで恐縮ですが、よろしければご参照ください。



■ 質的研究は「意味・場・行為・文脈」を研究対象とする。 (p.243)

■ 実験や観察、調査をすることで、科学は客観的に世界を理解しようとしてきた。しかし、実験や観察をする私たちこそその世界の中から抜け出すことはできない。 (p.243)

⇒「私たちは主体として社会という客体(対象)を研究している」という考え方は、従来の社会学が抱えてきた認識論的障害だったと言ったのは社会学者の二クラス・ルーマンでした。彼にとっては、社会を研究する社会学者がまるで社会から一歩飛び出して記述しているような感覚があったわけで、上の箇所が指摘することと近いように感じます。


■ 科学哲学では、世界の見方について以下の2つの立場があった。1つは、私たちの認識の外に客観的な世界の存在を認める立場で、主体(観察者)と世界(対象)を切り離して考える。そのため、量的研究が近いといえる。それに対してもう1つは、私たちの主観から独立した客観的な世界の存在を前提としない立場で、「言葉」を用いて意味づけする限りで世界を構成すると考える。そのため、質的研究が近いといえる。 (pp.244-245)


■ このように立場(価値観)が異なる量的研究と質的研究は、「共約不可能性」(パラダイムの違い) があるため、このままでは組み合わせることはできない。しかし、「構造構成主義」の考え方を用いれば組合せることが可能となる。 (p.247)


■「構造構成主義」では、研究者の「関心相関性」によって、量的か質的のどちらを選択するか決定される。 (p.247)

⇒先日ゼミの先生と話したことだが、「量か質か」という問いかけではなく、「いかに読者を知的に納得させるか」と考え、そのために質を選ぶか量を選ぶかは結果的について来るものとのことだった。ただし、なんでもかんでも量や質を組み合わせてよいというわけではないので、構造構成主義の以下の考え方は理解しておく必要がある。以下、直接引用。

構造構成主義は、すべての現象には、その現象を成立させている構造と秩序が存在し、科学の目的は、言葉または記号を使って、現象を成立させている構造と秩序を抽出し、一般化可能な知識を獲得することだと考えています。そしてこの目的は、量的研究と質的研究に共有可能なものだと考えています (西條, 2005) 。ここでの一般化とは、客観性を前提とした一般化ではなく、共通了解可能な知識を獲得することという意味になります。 (pp.248-249)

⇒共通了解可能な知識、という言葉づかいは、現象学でも用いられていた。現象学の発想は質的研究にやはり影響を与えているのだろう。

■ 量的研究と質的研究は、上で述べたように、異なる前提にたっていた。そのため、両者が共存するためには、共通の土台が必要となる。本書は、それを科学的論理性としており、演繹法や帰納法がもつ課題を自覚しておくことの重要性を指摘している。特に帰納法が抱える自然の斉一性原理問題は、カール・ポパーの「反証主義」によって一定の解決をみた。 (pp.249-250)

⇒特に、帰納法が抱える問題については、バートランド・ラッセルの『哲学入門』 (Problems of Philosophy) が参考になる。(参考:On Induction

簡単にまとめると、帰納法が成立するためには、「自然の斉一原理」が必要である。「自然の斉一原理」とは、過去に起きたことが同様に今後も起きるという原理である。ただし、この原理を証明するためには、帰納法を用いなければ成らない。つまり、帰納法と斉一原理は循環証明の形になっているため、厳密に証明することはできない。

■ 構造構成主義は、科学性を保つために質的研究者がすべきこととして、以下の2点を指摘している。 (p.315)
(1) 現象を構造化する (「構造」とは、ことばとことばの関係式であり、ある現象を記述することを指す。)
(2) 構造にいたる軌跡を開示する (→「データと分析プロセスの開示または明示」参照)


■ カール・ポパーが述べた「反証主義とは、設定された仮説が、反証されなかった場合には、その仮説は成立するという考え方」 (p.250) で、原理的に反証できない仮説は科学的論理性が認められないと主張する。

⇒たとえば、「あなたが今現実だと思っているこの世界は、実は夢である」というのはどうだろうか。もしかしたらそうかもしれないが、これを反証することは原理的に不可能なはずである。 (映画『マトリックス』の問題と同じですね。) したがって、上の夢に関する仮説はそもそも科学的に認められないこととなります。それに対して、「学習者は、翻訳をすることによって、言語体系の違いに関する気づきを述べる」という仮説であれば、実際に実験することによって反証することは可能なため、一応仮説としては成立するはずです。

■ 質的研究が科学であるためには、(1)「厚い記述」、(2)「リフレクション」、(3)「データと分析プロセスの開示または明示」が必要である。 (pp.252-255)

(1) 厚い記述
・実際に起きた現象(歴史)は動かせないものと考え、その現象を相手が納得できるように良心的に記述する必要がある。こちらも直接引用。

現象は一回起性であり、刻々と移り変わっていきます。相互作用を通じて表出・交換・更新された意味は、「その場」に保存することができません。そこで質的研究では、言葉による記述によって、現象の移り変わりを写し取り、現象をデータ化します。調査者は、言語データから表出・交換・更新された意味を再構成すると同時に、現象を成立させている構造と秩序を抽出します。 (p.253)

⇒ひょっとしたら、質的研究の記述もGrice の Cooperative Principle ( Maxims of Quality, Quantity, Relevance, and Manner) があてはまるのかもしれません。すなわち、相手が理解するために必要な量のデータを出し、そのデータに偽りがない前提で、読み手にとって関連のある情報のみを出し、適切な言い方を心がける。当たり前のことを言っているのかもしれませんが(笑)、いざ記述してみると難しかったので、データ記述の際にこの視点はもっておくようにしたいと思います。

cf) 「厚い記述」と対比して「薄い (お手軽な) 記述」を理解すると良い気がする。佐藤 (2008) の第1章では、「薄い記述」には以下の7パターンがあることが示されている。これらは、Maxims のいずれかを破っていると考えられる。
①読書感想文
②ご都合主義的引用型
③キーワード偏重型
④要因関連図型
⑤ディテール偏重型
⑥引用過多型
⑦自己主張型

また、佐藤氏は分厚い記述が「WHAT」や「HOW」だけでなく、「WHY」も扱うべきと述べる。
分厚い記述というものは、本来、ある物事や出来事が「どのようなものであるか」「どうなってるか」という、主として記述に関わる問いに対する答えだけでなく、「なぜ、そうなっているのか」という、説明に関わる問いに対してきちんとした答えを提供しようとするものである (佐藤, 2008, p.13)



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(2) リフレクション

・リフレクションとは、「分析をする調査者が、どのような関心を持って、どのように調査に関わりデータの分析をしたのかを記録すること」 (p.253) である。量的研究は数字によって議論の妥当性を示すことができるが、質的研究は調査者のリフレクションが代わりとなる。

⇒したがって、フィールドノーツや分析ノートをこまめにつけることが超重要となる。(焦)

(3) データと分析プロセスの開示または明示

・質的研究では、なぜそのような分析に至ったかを読者が納得できなければ議論が受け入れられない。したがって、「どのように」「何を」分析したかを論文中に示す必要がある。

→ここが不透明だと、さすがに読者は納得できないですね。ただ、実際に卒論を書いたとき、どのような分析プロセスをしたか、という説明はすごく難しく感じました。分析しながら自分が感じたことは、(2) のリフレクションで指摘された通り、細かくメモをしておくことが重要ですね。


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本書はそのあと、第18章でKJ法、第19章でGTA(グラウンデッド・セオリー・アプローチ)の解説を行っています。特に第19章は、自分にとってはこれまで読んだ概説書の中では非常にうまくまとまっているように感じました。修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチの認識論的前提が現象学的発想に基づいていることも示唆されており、自分の研究の立場に合うように感じました。修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチについては、以下の木下氏の書籍がもっとも良いそうで、早速購入しました。


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本書を読んで、今日はもはや質か量かという二項対立は通用しないということ、そして、両者が前提とする認識論的前提を考慮したうえでお互いが納得できるように歩み寄るべきということを感じました。以前、中国地区英語教育学会で、卯城先生が「今日の英語教育学会で、質的研究の中ですごいものはまだない」という趣旨の発言をされていました(メモのため正確ではありません、ご容赦ください)。近年は質的研究が少しずつ広がっていることは事実なので、研究者である私たちが被害者意識で「質も大事だ!」と叫ぶのではなく、いかに歩み寄るかが議論されるべきかもしれません。本書はそのための一歩として大変意義があるように思えます。


どうぞ、質的研究を考えていらっしゃる方はご一読をお勧めします。また、本書の量的研究の説明はまだ完全に目を通しておりませんが、こちらも分かりやすそうなので日を改めて通読したいと思います。

さて、教採勉強に戻ります(汗)。

(追記)2014/08/20
タイトルの水本先生の漢字が誤っておりました。大変失礼いたしました。

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