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2014年4月16日水曜日

BBS 翻訳の振り返り : No Man Stands So Straight As When He Stoops To Help A Boy. の訳

久しぶりに記事を書きます。mochiです。


この3ヶ月間、BBSの翻訳ボランティアに参加させて頂きました。以下の書籍の第4章を英日翻訳させてもらいました。

One to One: The Story of the Big Brothers/Big Sisters Movement in America
One to One: The Story of the Big Brothers/Big Sisters Movement in AmericaGeorge L. Beiswinger

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正直、数字や事実関係(歴史)などの部分は、自分の書き方がミスリーディングでわかりづらいと思う箇所がたくさんで、むしろご迷惑をおかけしたのではないかとも思いましたが、このボランティアのおかげで翻訳の難しさを改めて感じることができました。(これまでは研究者として人の翻訳にあれこれつっこむ立場だったわけで、翻訳者当事者の大変さを今度は本当に思い知りました...。)


さて、翻訳をしているときに一箇所面白いと思ったところがあったので、今日はその部分をお伝えいたします。

現在日本で活動しているBBS (Big Brothers and Sisters Movement) は、もともと BBBS (Big Brothers and Big Sisters) というアメリカの活動が母体になっているようです。このBBBSは、戦後1948年、当時BBA (Big Brothers Association) という名前で初めて全国組織化することになります。この年に Today Marks a Crossroads" という冊子を発行したのですが、そこに以下の英文が載せられたそうです。


No Man Stands So Straight As When He Stoops To Help A Boy.



この文は活動のスローガンとして題字に載せられました。(出処は不明だそうです。)

今回翻訳をしていて最も難しいと思ったのはこの1文でした。その理由は以下の通りです。

(1) 直訳調ではスローガンであることが伝わらない。
(2) 英語ではリズムがあるが、これを日本語で再現することは困難。
(3) かといって大胆すぎる意訳にしてしまうと、一箇所だけ浮き出てしまうのではないかという不安(それ以外の箇所は原文に忠実であるため。)

まずは、直訳してみましょう。(ここからは少し文法の解説になってしまいますが、ご容赦ください笑)

まず、not so... as ~ 構文は、「~ほど...でない」という意味になります。中学生が比較表現として学ぶ「as ... as ~」の否定表現です。高校文法の参考書では、上の表現が否定表現と共起するときは、1つ目のas は so に置き換えても良いと説明されていることが多いです。

次に、あまり見慣れない stoop という表現です。これは「身をかがめる」という意味があります。一応英英辞典の引用を...。

Bend one’s head or body forward and downward:
he stooped down and reached toward the coin
Linda stooped to pick up the bottles
[WITH OBJECT]: the man stoops his head
http://www.oxforddictionaries.com/us/definition/american_english/stoop

さて、これで大方の情報が集まりました。まずは直訳から。

① 身をかがめて男の子を助けるときほど、人はまっすぐに立たない。


うーん。これはやはり直訳すぎる気がしました。確かに原文には忠実ですが、日本語文のみ読んでもピンと来ません。

次に、「straight」を「まっすぐ」という物理的な説明のみならず、すこしメタファー的な「立派な」としてみます。


② 人は子どもを助けるために背を屈めるときほど立派に立っている瞬間はない。


ここまで訳すと、「子どもを助けるために背を屈める」ということは、「目線を合わせている状態」ではないか?と思います。

そこで、次の訳。「not so... as ~」は最上級表現に書き換え可能、という高校英文法の定石を使ってみます。

③ 子どもに目線を合わせようとかがむとき人は最も立派にみえる。

ここまでくると、少し原文から離れている感は否めません。ただ、このスローガンを英語圏の人が読むときと同じような印象を日本語版読者に持ってほしいと思ったので、この程度の意訳はよいだろうと思いました。


しかし、ここまで来ると頭が働かなくなり、大学の友人数人にメールを送ってみました。(皆さん本当に英語ができて感性豊かなので、いつも尊敬しています。)

その中でも、2人の友人が以下のようにメールを送ってくれました。それを紹介します。


1人目は、すでに就職して働いていますが、学生時代に翻訳理論の勉強会をやっていたこともあってメールしてみました。

彼は straight と stoop が対比関係にあるのではないかと感じたそうです。 straight はいわば<安定>状態にあって stoop がその安定を崩した<不安定>状態だとすれば、少年を助けるという行為は大人自身が<不安定>な状態になってでも行うため、美しいことだ、という解釈です。(これも面白いと思いました。)

そこで作った訳が以下の通りです。

④ 困った少年を前にして、われわれは動かないといけない(傍観していてはいけない)

翻訳理論には、「読んだ人へ行為を促す」ための翻訳という考え方もあって (Katherine Reiss の text function など) 、彼は「このスローガンがなぜあるか」を考え、BBAのメンバーがもっと子どもに寄り添おうとするためにも「~しないといけない」という形を選んだのだと思います。自分にはない発想ではっとしました。


2人目はとても感性豊かな子で、次の2つを提案してくれました。


身をかがめ
子に寄り添うその
まっすぐさ



あの子はきっと
同じ目線で笑うあなたの中に
誰より真っ直ぐに立つ大人の姿を見るのだろう


これらを見て、自分は「すごい!」と感じました。彼女の言うには、英語でリズムが意識されているなら、日本語版でも五七調でリズムを合わせれば良いとのことでした。(このような翻訳技法は実際にあるようで、『翻訳理論の探求』では「類似的形式」と説明されていました。

さらに⑥はオリジナルの訳にしてくれました。

⑥では特に「笑う」という語が含まれているのが印象的でした。彼女に確認してみると、参加しているボランティアの友人が子どもと手を取り合っている姿が "help" という語から思い浮かんだのだそうです。

まさに彼女の生活経験に根ざした訳で、個人的にはこの⑥の訳は最も面白く感じました。


これ以外にも数名の友人が協力をしてくれました。本当にありがとうございました。

これらを見渡して最終的には1つに決めましたが、どれも良いところ・欠けているところがあるなと感じました。もう一度候補訳をご覧ください。


① 身をかがめて男の子を助けるときほど、人はまっすぐに立たない。

② 人は子どもを助けるために背を屈めるときほど立派に立っている瞬間はない。

③ 子どもに目線を合わせようとかがむとき人は最も立派にみえる。

④ 困った少年を前にして、われわれは動かないといけない(傍観していてはいけない)


身をかがめ
子に寄り添うその
まっすぐさ


あの子はきっと
同じ目線で笑うあなたの中に
誰より真っ直ぐに立つ大人の姿を見るのだろう


これらを原文への忠実さ、および訳文での効果の狙いという点で無理やり一元的に並べて見ました。 (これについては異論がある方がいらっしゃるかもしれません。④~⑥の日本語としての効果の強さは他の並べ方もあるかもしれません。)




Juliane House (2008) では、翻訳者は常に double bind 状態だといいます。


double-bind relationship
In translation there is thus both an orientation backwards to the message of the source text and an orientation forwards towards how similar texts are written in the target languages. (p.7)

(注)
semantic equivalence : 意味という点でどれだけ原文と訳文で等価の関係にあるか
pragmatic equivalence : 文体、形式、効果などにおいてどれだけ訳文と原文が等価の関係にあるか

私自身もどの友人も、このダブルバインド状態にはさまれながら、どちらにより身をよせようか悩みながら言葉を選んだとも説明できます。

これでみると、どの翻訳もこの狭間に位置するしかないのかもしれません。皆さんはこれをどう思われるでしょうか。あるいは、この上にない⑦の訳が皆さんの中に生まれているかもしれません。


1つの英文を日本語に翻訳するとき、1対1関係にあると考えてしまうことがあります。現に受験生が用いる単語帳は、1対1でしか訳が載っていないこともあります。しかし、「そもそも言葉の意味は1つに決まらない」「いろんな訳し方があるはずだ」と思って訳してみれば、文体、言葉遊び、ダブル・ミーニングなど、翻訳困難なものは特にいろんな発見があるのではないでしょうか。(翻訳理論では、前者を決定論的アプローチ、後者を非決定論的アプローチと呼びます。『翻訳理論の探求』第6章をご参照ください。)


そして、これらの訳をみて「僕はこの訳がいいと思った」という話し合いをすることで、「自分はどうしてこの訳が良いと思ったのか」 (現象学でいう「直観成立の条件」) を考えさせることができるかもしれません。そのような話し合いを生徒間同士でさせることで、言葉に対してまた見方が変わるのかもしれません。


自分が研究してみたいと思うような体験と理論が丁度重なったので、勢いに任せてこのような記事を書いてみました。あとはうまいことこれらを分析的な言葉遣いで再言語化できるようにならなければいけません...。(疲)


改めて、この翻訳プロジェクトに招待していただいたBBSの小山さん、翻訳に協力していただいた皆さん、本当にありがとうございました。なにかコメントがあれば以下でお願いします (^^)

(追記)

学部の後輩が、以下の翻訳を提案してくれました。これを⑦として載せたいと思います(T君、ありがとう!)。

⑦ 実るほど頭を垂れる稲穂かな

先ほどの英文を、ある程度教養がある方に分かってもらうならこの翻訳は適しているなという印象を受けました。もちろんこの訳が原文のすべてのニュアンスを伝えられるわけではないのですが、一つの選択肢としてとても面白く感じます。

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