2013年8月27日火曜日

谷岡一郎(2000/2011)『「社会調査」のウソ-リサーチ・リテラシーのすすめ-』文藝春秋

統計の勉強をしようと、学部一年生の頃に受講した「英語教師のためのコンピュータ入門」の授業資料を見返していると、『「社会調査」のウソ-リサーチ・リテラシーのすすめ-』という本が参考書籍で紹介されているではありませんか。


なんとなく面白そうと読み始めてみると、読めば読むほど一部の社会調査の“テキトーさ”が浮かび上がり、読み終える頃には新聞記事やネットの記事などが信じられなくなるほど「数字」や「統計」への感覚がついたようでした。(もちろん、まだまだ未熟者ですが。)

■ 用語の整理(いくつか気になったものをピックアップして)

まずは本書で重要と思われる用語の整理をしておきます。(本書で用いられている説明+自分なりに当てはめた例を掲載します。思いつかない場合は本書から引用させていただきました。笑)

・キャリーオーバー効果(carryover effect)
質問調査において、「最後(後半)の質問に向け、前段部でわざといくつかの問題点を設けておく(p.75)」ことにより、回答者の印象をコントロールすることが可能である。この効果をキャリーオーバー効果という。
例えば、「英語の授業における母語(日本語)使用に関するインタビュー調査」を行ったとしましょう。この調査の目的は、学習者が英語の授業中に母語を使用することの意識を記述することだとします。調査研究ではアンケート項目の選択・配列が難しいのだと思いますが、仮に研究実施者が意図的に質問を以下のようにしたとしたらどうでしょうか。

Q1: SLA研究ではInput Hypothesisという仮説があります。これはインプットの量を増やせば増やすほど言語獲得しやすくなるというものですが、このことを知っていましたか。(はい・いいえ)

Q2: 英語教師が授業中に用いる英語はteacher talkと呼ばれており、学習者の既習事項や発話速度・量などをを考慮されたinputとなる可能性があります。teacher talkという言葉は知っていますか。(はい・いいえ)

Q3: さて、現行高等学校学習指導要領では英語の授業は「原則英語を使用」といわれています。これについてどう思いますか。(とても良い・良い・普通・悪い・とても悪い)

Q4: 英語教師が母語(日本語)を使用することについて賛成ですか。反対ですか。その理由も答えてください。(賛成・反対)理由:[         ]

~ 以下省略 ~

さすがにここまで明らかだと笑いの種になります。明らかに実験者はQ1-3で英語授業における母語使用に否定的な情報を与えています。これらを踏まえればQ4の問題を答える時には調査協力者にはバイアスがかかり、「反対」と回答する方が多くなるでしょう。この結果をまとめれば、「日本人英語学習者(n=100)は教師が英語の授業で母語使用するべきという考えに否定的な考えをもっている」という結果を導くことも可能となります。(リサーチ・リテラシーと逆のことを言えば、この質問作成者の意図を見抜き公平な判断をすることが、メディア・リテラシーなのだと思います。)

ちなみに心理学ではある刺激により次以降の刺激に対する反応が影響されることを(※)プライミング効果といいます。キャリーオーバー効果は統計上のプライミング効果とも呼べるのではないでしょうか。

※例えば、10回クイズなどで「シカ」と10回言わせた後に、サンタが乗るのは?と聞かれたら「トナカイ」と答えたくなると思います。ちなみに答えはソリです。10回言う段階を飛ばした上で「サンタが乗るのは?」と聞けば大方「ソリ」と答えられるはずです。しかしシカという刺激に引きづられて「トナカイ」と言ってしまいたくなるのが人というものでしょうか。ここまで読まれればキャリーオーバー効果との類似点にお気づきの方も多いと思います。


・アプリオリと(a priori)アポステリオリ(a posteriori)
アプリオリは「論理構成が事前に決定されている状況(p.108)」で、アポステリオリは事後に決定される状況を指します。換言すれば、アプリオリな実験では調査方法や予想などが事前になされた実験を指します。それに対してとりあえず実験してみて、面白そうな結果がでたら「後付け」で理論や予想を組み立てる場合がアポステリオリに当てはまります。

仮に音読の効果を検証する実験研究を行うのであっても、以下の2つのパターンがあり得ます。
(1) 先行研究はそこそこに読み、実験を作ります。しばらく続けると、「おっ!なんか行間が大きいと音読ができるようになってね?」となり、急いで「行間と音読速度に関する研究」と題し、卒論を書いていく。

(2) 先行研究を読み進めると、音読のスピードを変化させる変数の一つに行間の広さがあることが判明。そこで、独立変数X=行間の広さ(cm)、従属変数(Y)=音読スピードとすることで、これらに相関関係がでるのではないかと予想を立てて実験する。

これら両者は、同じような実験結果の論文になるかもしれません。本書の分類によれば、(1)はアポステリオリで(2)がアプリオリと言えます。
これらのうち筆者が特に問題視しているのはアポステリオリで、以下のような記述があります。

社会科学では、前述したように、理論が正しくても同じ結果が出るとは限らないし、逆に理論は正しくなくても一定の結果が出ることもある。社会科学というのは、自然科学以上にアプリオリな計画をもっていなければ、何でも証明できてしまうという危険性を孕んでいるのである。そして実際、都合のよいデータと後づけ理論で、本当は正しくないことまで理論として通用してしまっている。例えば、「生まれた正座と結婚の相性」などあるはずいのに、ある種のデータはそれを証明したと主張するように。(p.110)


また、自然科学と社会科学の相違点として「データ公開の有無」を指摘しています。

日出づる処にある社会科学会である。むろん例外もないわけではないが、ほとんどの日本の学者はデータ公開を拒否して構わないと考えており、実際、そのように振舞っている。データ公開拒否の理由は、「プライヴァシーを守る義務があるから見せられない」「統計法のせいで公開できない」「私の資金で集めたデータだから他人には見せない」「めんどくさい」など様々だが、陰の、そしてそれが本音であるところの理由は、「恥ずかしくて見せられない」のである。(p.111)

もちろんプライヴァシーは考慮するものであるが、データ公開拒否の理由が保身であるとすれば、学問発展のための機会を損していることにもなりそうです。


・スプリアス効果(spurious effect)
「複数の変数の表面上の相関関係が、どれも一つの共通の原因から生じた結果にすぎないということが間々ある。これをスプリアス効果という(p.135)」。
よく心理学で出されるのは以下のような例です。

スプリアス効果のわかりやすい例として、家にある「灰皿の数」と家族の誰かが「肺ガンにかかる事」の関係を考えてもらいたい。「灰皿」が「肺ガン」を引き起こすわけでないことは誰にでもわかるだろう。逆に「肺ガン」になるとむやみやたらと「灰皿」を集めたがるわけでもない。どちらも「喫煙習慣」からの結果にすぎない。つまり〔灰皿⇔肺ガン〕という相関関係が証明されたとして、両者の間に因果関係はありえない。(p.133)

すなわちスプリアス効果とは、本来隠れている真の原因があるにも関わらず、それを見過ごして表面上の相関関係を追及しがちになる心理を表しています。


・リサーチ・デザイン(reserch design)
リサーチ・デザインは本書では「どうやって知りたいことを知るかという計画主体(p.141)」と説明されている。通常以下の5項目を含んでいます。

① 時期・回数(Time Frame)
② データ収集法(Data Collecting Method)
③  質問票(Questionnaire)
④ サンプル抽出(Sampling)
⑤ 分析(Analysis) 

※おそらく本書では調査研究を想定しているため、③のような調査研究特有の項目も含まれていると考えられます。実験研究などの場合はまた別に存在するものと考えられるが、大枠は参考にできるのではないでしょうか。


・トランスレイション・バイアス(translation bias)
国際比較を行うと、どうしてもある言語の指示文を翻訳して使用することになります。翻訳学では定説であるが、そもそもある意味を別言語で完全に再生することなど不可能であります(翻訳不可能性)。したがって、翻訳を行うと多少のニュアンスや意味合いの差異が生じます。これによって生まれる実験への影響をトランスレイション・バイアスと呼びます。

日本語から英語に翻訳すると意味が変ってしまったり、実験に影響を与えるようなニュアンス上の違いも出るかもしれないので、これらはもちろん翻訳中に意識するべきであろう。面白いのは、interlingual translation(言語間翻訳)のみならず、intralingual translation(同一言語での翻訳)やsemiotic translation(記号翻訳)にもトランスレイション・バイアスは見られるという点です。

例えば東京と大阪では、「アホ」とか「おもしろい」「いじめる」などの意味やニュアンスは必ずしも同じではないからである。一応の翻訳が出来るのはまだよい方で、筆者が係わったものには、識字率の低い国における調査さえあったことをつけ加えておく。この場合、翻訳というより、リサーチ・デザイン全般から計画し直す必要がある。(p.144)

すなわち、言葉のような表現様式を用いる限り、ニュアンスの伝え損ないやミスコミュニケーションという問題は常に発生しうるわけです。調査上で考慮できる範囲で気にする必要がありそうですね。



■ 本書の主張~批判的読みと結びつけて~

ここまで本書で用いられた用語の説明と解説を書きました。上を読んで頂ければ、本書がどのような立場で書かれているかも納得いただけるかもしれませんが、より著者の主張が表れている部分を引用しつつ本書の魅力を紹介して記事を締めたいと思います。

これほど社会調査が増え、それも玉石混交ということになってくると、それらのリサーチが本物であるかどうかを見極める能力が必要になってくる。本書の主眼はまさにそこにある。つまり「リサーチ・リテラシー(research literacy)」の提唱である。[...]なぜリサーチ・リテラシー教育が必要かといえば、人々のリサーチに対する無知につけ込み、ゴミの情報を流す者、それを広める者、それを利用する者だちが、あまりにも多いからである。これらの者に対抗できる能力を持たない限り、今の、そしてこれからの社会では、損ばかり重ねる不幸な人間を生み出すだけである。[...]情報機器やシステムの進んだ現代では、他人より、より多くの情報を集めることを競っても意味がない。情報など、集めようと思えばいくらでも集められるからである。むしろ今後、必要となるのは、あふれるデータの中から真に必要なものをかぎ分ける能力、いわゆる「セレンディピティ(serendipity)」と呼ばれる能力であろう。(pp.191-193)


今日の教育界の流行言葉の一つに「批判的○○(思考、読み、など)」があります。この言葉自体抽象的で紛らわしいため、下位構成概念が何かよくわかりません。
大学の授業を受けながらぼんやり考えていたのは、レトリックの知識が批判的読みの土台になる可能性です。筆者の意図がレトリックという形で文章中に表れているのであれば、本文の筆者の立場を明らかにした上で客体的に読めるはずであるし、虚偽の修辞技法などは知っておかなければ、巧みな表現に操られて受動的読みしかできなくなるかもしれません。したがって、持論としてはレトリック教育も一つありではないでしょうか。


しかし本書で提唱されるセレンディピティも批判的読みには必要のはずです。セレンディピティはあえて翻訳するとすれば「情報見極め能力」だろうか。書かれている情報が信頼できるかを見極める能力であり、統計学やバイアス効果についての知識を持った上で文章読解する技能の育成も批判的読みに含まれないのでしょうか。


論文を読む時も「おかしいと思うところに線を引きながら読みなさい」という指導を受けたことがありますが、この「おかしいと思う」矛先も「論理の飛躍」「大前提への疑問」「統計・データ収集への違和感」など多岐にわたります。仮に「おかしいと思うところに線を引きながら読む」のも批判的読みだとすれば、「統計・データ収集への違和感」はセレンディピティの育成により感覚が鋭くなると期待されます。

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