2013年8月20日火曜日

鈴木翔・解説 本田由紀(2012)『教室内(スクール)カースト』光文社新書

♪ソイヤッサー、ソイヤッサー(頭から離れない・・・笑)



本屋さんをブラブラしていた時、このような本を見つけました。


教室内(スクール)カースト (光文社新書)
教室内(スクール)カースト (光文社新書)鈴木 翔 解説・本田由紀

光文社 2012-12-14
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ゼミの先輩が以前関連した本を読まれていたこともあり、手にとってみました。

最近は、学園ドラマでも「一群」「三軍」といった呼び方がされており、「スクールカースト」がより一般的に認知されるようになってきました。

本書はそのようなスクールカーストにスポットライトを当て、インタビュー法を用いた質的研究を中心にスクールカーストの全貌を暴こうとしたところに意義があります。特に、スクールカーストに対する生徒と教師での認識の違いに関する考察は、思わずはっとしてしまいます。

そこで、本書の書評としてスクールカーストとは何か、生徒と教師のスクールカーストに対する認識の違いを中心に書きたいと思います。(本書の第五章は特に教育学部の学生であれば、ここに出てくる教師の台詞に対してどのような感想を持つか、一度読んで確かめてみると良いかもしれません。)また、それらの原因の考察については私見を交えて書いております。

■ スクールカーストとは

「同学年の児童や生徒の間で共有されている「地位の差」(p.6)」という説明がされています。例えば、あるクラスでいつも目立つサッカー部のグループやおしゃれに気をつかうギャルのグループ。彼らはクラスでの影響力も強く、教室内での地位も高いといえるかもしれません。それに対して、普段地味で目立たない子たちのグループもありますが、彼らは発言力も低く思われるでしょう。

スクールカーストという概念の利点は、このようなグループ間であるグループが別のグループを「下に見る」という行為を説明できることだと思います。現に掃除などのやりたくない仕事を地味な子にやらせるときに、「一段低い者への態度(p.66)」をとることも観察されます。従来は「これはいじめではないだろうか。でも本人が精神的苦痛を感じていたら…」という曖昧な「いじめ」概念で片付けていたものを、力関係や恐怖感などを観点に記述することが可能となるでしょう。

以下は本書からの引用です。

 まず、「スクールカースト」地位の中で下位に置かれた生徒は、クラスメイトから身分の低い存在、つまり目下の存在だと見なされて、いじめの標的になりやすくなるということ。そしてもう一つは、たとえいじめにあわなかったとしても、自分に自身をなくし、学校生活への適応に大きな影響を及ぼすということです。(p.39)
スクールカーストは「いじめ研究」が見落としてきたところと、「生徒文化研究」が見落としてきたところがちょうど重なり合う、エアポケットのような部分だということができるでしょう。(p.82)

ここからは本書を基に図示したものを用いたいと思います。



上位層はにぎやか、気が強い、異性の評価が高い、若者文化へのコミットメントが高い、努力を欠かさないなどの特徴を有しています。他にも、「遠足のバスは最後列を仲間内で占拠(p.34)」といった項目も観察されます。おそらく多くの方は小中高に通っていた頃を思い返せば、このようなグループの子たちがいたことも思い出していただけるかと思います。
逆に下位層は「特徴がない」という特徴があります。すなわち、上位層に当てはまる特徴を有していない場合に階層の下へと追いやられるのでしょう。
両者は互いに「権力」「恐怖心」という関係があります。興味深いのは、下位層の生徒が必ずしも恐怖心や畏怖の念を抱いているというわけではなく、面倒くさいけれども従わないと後でややこしいから従うということです。


■ 教師の各層に対する接触と認識

以下に示すのは、第五章で紹介される教師がスクールカーストをどうとらえているかに関するまとめです。現場の教師の意見ということで、非常に生々しいものに感じるかもしれませんが、面白い事実も浮かび上がってくるかと思います。以下は(1) 教師から各層への接触(コミュニケーション)量、(2) 教師の想定する階層の原因、(3) 教師のスクールカーストの意義に関する一意見




(1) 接触量
上位層の生徒に対して教師は多く接触する傾向にあり、下位になるにしたがって接触量が減少する。教師にとっては上位の生徒は「カリスマがあって、雰囲気を和やかに出来る(p.235)」ためにコミュニケーションがとりやすいのかもしれません。しかし、生徒にとっては、権力を持っていない教師が強い権力を持つ上位の生徒に媚を売って権力を分けてもらっているようにとらえられる可能性があります。

(2) 教師の想定する階層の原因
教師にとっては「能力」がスクールカーストの原因になっていると見られます。例えば、コミュニケーション能力が高い生徒は必然的に上位に行き、自己主張が低かったり向上心がない生徒(現状に甘んじる子)は下に落ちていく。
ちなみに、このような「○○力」のことをメリトクラシーと呼んでおり、今日ではこのようなメリトクラシーが増えたハイパーメリトクラシー社会と呼ばれています。


 たとえば、「人間力」や「考える力」、「問題解決能力」「対人関係能力」「生きる力」、「母親力」「女子力」なんていうのもあります。挙げるとキリがありませんが、『○○力』という本がよく出版されていることからも、単なる学力以外のもっといろいろな能力が、社会の中で重要視されていることがうかがえます。このような「メリトクラシー」が新たな段階に進み、さまざまな「○○力」が重視されるようになった社会を、「ハイパー・メリトクラシー」と呼びます(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版・2005年)。(pp.71-72)

これらは、非常に曖昧な概念であり、メリトクラシーを育成したり評価したいするのが困難で、教師はこれらを伸ばさなければならないという強迫観念に押されながらも現場にいます。したがって、これらメリトクラシーが目につき、スクールカーストの原因帰属としてこのような曖昧な能力を用いているのではないでしょうか。

(3) 教師のスクールカーストの意義に関する一意見

今回のインタビュー対象者の教師からは、「スクールカースト」に対する否定的な見解はあまり聞かれず、むしろ、同学年の集団に、「地位の差」が存在することに対して、肯定的な見解を示す言葉が多く聞かれました。[...]加藤先生は、もし、「スクールカースト」の下位に位置づけられる生徒が傷ついたりしていたとしても、生徒たちがこれから社会に出て行くことを踏まえれば、なぜ自分がクラスメイトから下位だと見なされているのかを考えることは、必要なことだと考えています。
そして、「立場の弱い」生徒に関しては、「スクールカースト」の中でなぜ自分がかいだと見なされえていたのかということを考えることによって、自分がなぜ立場が「弱い」のかに「気づ」き、そうした弱い自分を修正して、社会に巣立つことができるようになればいいのではないか、と考えているようです。[...]このように教師たちは、「スクールカースト」による「地位の差」を、「生きる力」や「コミュニケーション能力」、「リーダー性」といった「能力」の違いによるものだと解釈し、そのため「スクールカースト」それ自体に肯定的な見解を示すようになると考えることができます。(pp.260-262)

※本研究では4名の現場の教員からインタビューを行っていますが、その4人ともスクールカーストの存在を肯定的に見ていたという結果がでていました。


ここまでを表にまとめれば、以下のようになるのではないでしょうか。



■ 教師生徒間のスクールカーストの認識の違いの理由(勝手な解釈ですが…)

上の表に見られるような違いはなぜ見られるのでしょうか。
先ほどの教師のスクールカースト観は能力により地位が決まるということで、このように表されるでしょう。



しかし、現実的には能力のみで地位が決まるということはないように思います。そこで、本研究で紹介された教師の想定を修正したモデルは以下のようになるかと思います。


私が指摘したいのは、以下の2点です。

指摘①:能力によってSC地位が決まるだけでなく、SC地位によっても能力やパフォーマンスが影響されるのではないか。

→能力が高いから地位が高い、のではなく、地位が高いから能力が高まったり、自分の能力を発揮する機会が増えるとも考えられないのでしょうか。現に下位層にもコミュニケーション能力は高いけれども、「オタク」ということで下に見られる場合もありそうなものです。


指摘②:SC地位は能力以外の様々な諸要因によって決定づけられているのではないか。

→そもそもスクールカーストを決定する要因は他にもあるのではないか、という点です。したがって教師はコミュニケーション能力や生きる力の高さのみしか地位の決定要因とみなしていなくても、現実的には見た目や性格なども入るのではないかという点です。



もちろん教員として現場で働いたこともない自分の勝手な解釈なので、あまり説得力はないかもしれません。しかし、自分の高校生の頃の経験なども踏まえるとこのようにも考えられるのではないか、というあくまでも解釈の一例としてとらえていただければ幸いです。


■ 疑問点

最後に、本書を読んだ疑問点と現時点でのぼんやりした考えを述べて終わりにしたいと思います。

・大学の学部やクラスにはスクールカーストのようなものは存在しないのだろうか。もしするなら、なぜ本書では取り上げられていないのだろうか。もし存在しないなら、それはなぜか。

本書では小・中・高に関するカーストのみ述べられており、大学については述べられていません。また、定義にも「児童生徒」という言葉があっても「学生」という言葉は用いられていません。大学では果たしてカーストのようなものはないのでしょうか。もしないのであれば、なぜスクールカーストが存在しないのでしょうか。
私は「コミュニケーション能力」や「見た目」「性格」などのスクールカーストを決定付ける要因は中高で特に重視されても、大学ではより多くの価値観が存在し、カーストを決定するのに十分な独裁的要因が存在しないからではないかと思います。(つまり、みんな違ってみんな良い!と学生なら相手のことを認められそうということです。)
また、調査法として大学生にインタビューをとったということで、現在自分が通っている大学に関するカーストは述べたくても述べられない(現在の自分の立場を明らかにしなければならない)からかもしれないと思いました。なので、大学卒業者を対象としたインタビューなどを行えば明らかにされるのかもしれません。


・「調子に乗る」というメタファーの表す意味。

中学高校ではよく「あいつ調子に乗ってない?」という言葉が聞かれたと記憶しています。この言葉も本書ではスクールカーストの存在によって説明されます。

「スクールカースト」の上位に位置づけられる生徒は、権力を保持しており、そのため、自分の権力の届かないところで行動されることを「調子にの」っているという言葉で表し、制裁を加えることもあります。(p.188)

とすると、「調子にのる」はカースト上位軍から下位軍へ用いられるものとなりますが、おそらくその逆(下位軍から上位軍)でも用いられるのではないかと疑問に思いました。
例えば、上位の生徒が授業中にずっとふざけていれば、「調子にのりすぎている」という言葉も使われるのではないかと思うのです。

もちろん言葉づかいなので人によって違うとも考えられますが、果たしてどうなんでしょうか。


■最後に

まさに中高のころ学校の“空気”を支配していた構造がこのようにも表されるのだな、と面白く読みました。教職につかれる方は一度読まれるといろいろな発見があると思います。

感想やご指摘等ございましたら、コメント欄までお願いします。

1 件のコメント:

  1. お久しぶりです(o^^o)
    先輩に読んでいただけて光栄です。拙い記事ですが、どうぞご自由に繋げてください。

    また本書の感想もお話しさせていただければ嬉しいです。(あとできれば実習の話も…笑)

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