2015年12月26日土曜日

多田孝志 (2011) 『授業で育てる対話力―グローバル時代の「対話型授業」の創造―』教育出版


こんにちは!mochiです!2015年もあと少しですね。


大学院の課題で、ある研究授業の分析をすることになりました。その授業は私が尊敬する先生がされたもので、自分がその公開授業の場で感じた「すごい!」という感覚を、なんとか言語化して自分の授業にも取り入れたいと思って取り組むことにしました。

その研究授業の構成は、前半が学習者のプレゼンテーション発表を中心にしたクラスディスカッション、後半が本文を通して自分を見つめなおして考えたことを話すミニスピーチでした。そのどちらも大変面白く、また生徒さんの英語力や学習への取り組みも素晴らしかったです。

自分のような大学院生に到底分析できるような代物ではありませんが、せっかくの機会なので自分の関心である「対話」を分析の観点として、対話授業における先生の役割や対話活動の分析をしようと思っています。

「対話」に関する漠然とした興味はあったものの、教育実践としての「対話」についてはまだまだ無知です。そこで、対話研究の専門家でいらっしゃる多田先生のご著書に当たることにしました。多田先生の名前は恥ずかしながらつい最近知ったばかりで、以前日本語教育学の細川先生と対談をされていた際の動画を拝見し、この先生から学べることがたくさんあることを確信しました。

今日紹介する本も、「対話」授業に興味をお持ちの方には大変お薦めです。本書の構成を簡単に説明すると、対話が必要な時代背景の説明、対話実践を支える理論的根拠、そして実例を交えながら対話実践の方法論、となっています。授業で取り入れるなら後半のみで十分ですが、個人的には前半の理論部分が大変面白く感じられました。

授業で育てる対話力―グローバル時代の「対話型授業」の創造
授業で育てる対話力―グローバル時代の「対話型授業」の創造多田 孝志

教育出版 2011-08
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以下、特に面白いと思った箇所を紹介します。




■ 多文化「共生」の「グローバル時代」に求められる「対話」

多田先生は序文で「グローバル時代」における対話の必要性を強調します。ここで言う「グローバル時代」とは、「多文化共生社会の現実化を直視し、多様性を尊重し、生かし合う時代」(p. iv) という意味で用いられており、流行言葉として巷で言われるグローバルとは必ずしも一致しません。

さらに、「共生」という言葉は「多様な人々との相互理解を深め、親和的かつ相互扶助の関係を醸成し、また、文化や価値観・立場の違いや、異なる意見による対立を乗り越え、対話や共同活動を通して、新たな知見や価値を生み出し、そのプロセスで創造的な関係を築きあげていくこと」(p.33) と説明されています。ここから、「共生」も決して理想観望的な言葉でなく、現代の状況を冷静に分析した上でお互いの存在を承認し合う必要性を直視しており、地に足がついた議論であることがわかります。
(とは言いつつ、対話論が多少の理想を含むことは否めないとも思います。その点については最後に感想で書いています。)

本書の論立ては、ただ単に「対話をしましょう」と無闇に対話活動を礼賛するだけではありません。(その意味では重い文章だとも思います。)対話相手が「他者」―すなわち根源的にわかりあうことのできない存在―であることを自覚し、価値観や利害関係、文化・歴史的記憶が異なることを踏まえて、その上でいかに共に生きることができるかを探究することが求められるという点も踏まえられています。

このようなグローバル時代に、筆者は「合意形成を唯一の目的としない・話し合うこと自体に意味をもたせる対話」 (p.12) を体験する必要があると言います。たとえば共通コミュニティの成員同士として社会・未来のあり方に関して話したり(例:「楽しい学級にするには」「地域社会を希望あるものとするためにできることは」、多様な知見を結びつけて知的連帯を楽しむ対話をしたり(例:「生きがいのある人生とは」)することが考えられます。これらの問いに対してクラス全体で絶対解を出す必要性はなく、そのクラスとしての納得解を各々が持っている状態であれば良いはずです。

多田先生は、そのような対話に不可欠な5つの対話方法(留保条件、部分含意、段階的解決、発想の転換、第三者による調整)を示しています (p.13) 。ここでは詳説を避けますが、このような対話方法を明示的に学習者に指導しておけば、コミュニケーションがクラッシュしそうになったときに学習者間で調整し合い、対話が「自己治癒」しながら継続することも可能となるかもしれません。





■ 「どの子にも語る力、考える力はある」「どの子も認められたい、発言したいと願っている」

多田先生の理論の根底にあるのがこの考え方です。先生の高校時代のある経験から、大前提としてクラス全員に語る力・考える力があることを学んだそうです。(この経験については本書を読んでお確かめください。)

思えば自分も、クラスではあまり活発でありませんでした。クラスの雰囲気やペア相手の子との人間関係など、他者の目が怖くて話せないという生徒はたくさんいると思います。それでも多田先生の仰るとおり、全ての子は「話したい」「聞いてもらいたい」「認めてもらいたい」という欲求を持っているのだと思います。

(※この点は、苫野先生の「承認欲望」の議論とも似ていると思いました。まだきちんと比較検討ができていませんが、両者の議論は非常に相性が良いのでは、というのが自分の意見です。)

さて、このような寡黙な子どもも対話授業に参加できるために、教師は「コメント力」 (p.72) が求められます。コメント力を学ぶのに最も良いのは、ハーバード大学のマイケル・サンデル氏の授業だといいます。自分もマイケル・サンデル氏の授業は、学部生の頃にはまっていました。対話授業をする際、サンデル氏のコメント力から学べることも多そうです。以下はほんの一例です。

・確認
・補説の要求
・反対意見の指名
・新たな視点を導入して「どう思うか」と問い掛ける
・別のケースを導入して新たな問いを出す

サンデル氏のビデオはもう一度じっくり観て、対話を促す声かけとして整理したいと思います。


サンデル教授の対話術 ( )
サンデル教授の対話術 ( )マイケル・サンデル 小林 正弥

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■ 「浅い対話」と「深い対話」

ただし、何でもかんでも「対話」をすればよい、という話ではありません。この部分が本書の最も魅力的な箇所だったのですが、「対話」の中でも浅い対話は避けて、「深い対話」を志向すべきという議論もされています。

「浅い対話」は情報の共有や指示伝達を主目的とします。そのため、権力構造の雰囲気で、閉鎖的・パターン化された発言がなされます。浅い対話の参与者は必ずしも相互理解をする必要はなく、上辺だけの人間関係で成立します。

それに対して「深い対話」の主目的は、「叡智の出し合いによる共創」です。複数の人間が集まって交流することで、知的爆発・知的化学反応が起こり、そこから新たな考え方が生み出されます。そのために、自由に意見を言い合う雰囲気が成立し、多様性が尊重され、相互理解を深めていきます。

本書はもちろん「深い対話」を成立させることに主眼を置いており、実践紹介でも「深い対話」をする生徒の姿が描かれています。その中でも特に私が重要だと思ったのは、教師が「ねらい」を分析することの必要性についてです。



■ 「ねらい」の分析

私たちが授業のために作成する指導案には、必ず「ねらい」(目標)が明示されています。英語科であれば、「読んだことや経験に基づいて、自分の考えを口頭で表現する」や「文章の要点を理解するために読む」などです。教師のねらいは通常一文で書くことが一般的です。教師がその時間中に身につけさせたい知識や技能を明確にするためです。

多田氏は、教師が「ねらい」を分析しなければ深い対話にすることができないといいます。これは氏が小学校の道徳の授業を見学した際のことですが、授業のテーマは「友情」で、二人の小人を主人公にした読み物教材が用いられたそうです。ストーリーとしては、せっかく見つけた食料をもう一人の小人が持っていってしまうというもので、授業の中心発問はその友だちの気持ちを考えさせることでした。

多くの子が「許してあげる」という意見を述べる中で、「本当の友だちなら許さない」という発言をした子が一人いたそうです。その先生はあまりその発言に注目せずに次の子の発言に向かったそうです。これについて多田先生は、もし授業者の先生が「友情について考えさせる」というねらいについて、より多角的な分析考察をする必要があったと評されています (p19) 。たしかに、「友情が大事」という意見のみに収斂しないで、「ではどんな友だちが良い友だちだろう」とか「友だちが悪いことをしたときはどうする?」といった次の発問につながっていたかもしれません。

もちろん対話授業以外のすべての授業にも当てはまることですが、指導案にねらいを1文で書く際も、より具体的・多角的に考える必要があるなと実感しました。



■ 最後に

以上が本書のまとめです。改めて、本書から多くのことを得られたことに気付かされます。ただし、以下の点について疑問が残りました。

(1) 「システム」という言葉が本書で繰り返し出てきましたが、きちんと規定されていなかった印象があります。たとえば以下の文。

かかわり・つながりを重視する時代ともイメージしています。時間・空間・問題とのかかわり、自己や他者・社会や自然とのかかわりを基調にものごとを考え、感じ、判断し、行動する――換言すれば「システム思考」の時代と捉えています。 (p.iv)

ここで「システム」という語がどのような意味合いで用いられているのかがピンと来ませんでした。仮に「システム」を「要素と連関を持ったひとつの体系」とでも定義するなら、世界を生態系として捉える姿勢のことを言いたいのだと類推できますが。

(もしかしたら私が「システム」という言葉に想いを込め過ぎているのかもしれませんが。笑)


(2) 本書は対話の必要性を丁寧に説明されていました。ただ、対話論の限界もあるのではないでしょうか。たとえば今問題になっているISやヘイトスピーチの問題に、「対話」論はどこまで対応できるのでしょうか。あるいは対話を放棄するような相手に対してどのように対話を持ちかけるか、という点については対話授業で前提とされていない印象をうけました。(かなり発展的な内容になるのも事実でしょうが。)


(3) 最後に英語科の視点からですが、英語科はあくまでの技能育成の教科として位置づけられます。とすると、「題材について」対話する(例:読んだ文章から分かったことを話し合う、筆者の意見を批判的に検討する)ことも考えられますが、「言語について」対話する機会、言い換えればメタ言語的な視点で対話をする機会もあって良いなと思いました。
同じ「吾輩は猫である。名前はまだない。」という文を、A君とB君が異なった訳し方をする、というのも立派な「他者性」で、対話の契機になりうると思います。(このような対話についてはあまり本書では扱われていなかった印象があります。)



以上が感想です。

私が本書を読んで「対話」について考えをゆっくり深められたことは事実で、良い買い物だったと思います。

「対話」教育についてご意見やご経験をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひコメント欄にお書きいただければ大変幸いです。

今年も多くの方に来訪いただきありがとうございました。
来年も時間を見つけて読書記録や思考の整理をして、さらにブログ記事も書きたいと思っています。
来年もどうぞ「もちサバニン日和」をよろしくお願いします!
それでは、よいお年を!

mochi

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