2015年11月29日日曜日

教育研究大会に参加して

こんにちは。Ninsoraです。

先日、私の某国立中高併設校の教育研究大会に参加してきました。

英語科は「思考力・判断力・表現力の育成」をテーマとして設定しており、その実践・達成の場として、高校1年生と中学3年生の授業を参観させていただきました。また、学校をあげた英語プレゼンテーションの取り組みに関する実践報告も伺うことができました。
(以上は本来公開されている情報ではあるのですが、第三者が特定の学校のことについてどこまで述べてよいのか不確かであることと、生徒さん・先生方・学校への一応の配慮といたしまして、校名や個人名は伏せさせていただきます。)

今回は単なる授業の様子や感想を述べるために記事を書くのではありませんので、授業展開やテクニック・実践報告の内容等の詳細をお知りになりたい方は、別のブログを探して頂いた方が賢明かと思われます。(と言いますか、授業展開の詳細等はほとんど書きません。)
また、以下は私の主張と主観の書き殴りになりますが、それでも良いという方はご覧になってください。

◆ 「流石、理想はこれか」という生徒と授業

 授業の中身について少しだけ書きますと、高校1年生は日米文化を比較したポスター発表(プレゼンテーション)とリテリング、中学3年生は複数の帯活動と本時活動を組み合わせた「オムニバス形式」の授業展開で、まとまりのある英文を書いたり話したりすることを目標にした授業でした。
両者ともアウトプットが重視されており、それらの活動を通して「思考力・判断力・表現力を育成する」という到達目標がかなり意識されていたものでした。
特に授業展開の新鮮さと、それに由来する生徒の英語使用量の多さと流暢さには目を見張るものがありました。

先生方の日ごろの熱心なご指導と学校をあげた英語力育成への取り組み、また生徒の日々の努力の賜物であると素直に思います。

◆ 理想を見せつけられて・・・
 
 このような研究会などで、凄腕の先生の凄い授業を見て多くの人が抱く感想は、

「凄いものを見た!早速次の授業でやってみよう」という熱心(だが危険)なものか

「今の自分の授業はダメだ。改善しなきゃ」という反省か

「これは○○先生だからできるんだ」
「これは△△中学(高校)の生徒だからできるんだ」という諦めか

のどれかには当てはまるのではないかと思います。

今回、自分も「凄い先生の、凄い生徒に対する、理想の授業」を見せつけられて、正直なところ

「△△中学(高校)全体としてのサポート体制が出来上がってるから上手くいくんだ」
「やっぱり△△中学(高校)の生徒だからできるんだ」

と思ってしまいました。

現在、私にも中高生を教える機会があります。今持っている生徒には、英語が好きで頑張る子もいます。頑張っても、頑張ってもなかなか英語が伸びない子もいます。そもそも英語が大嫌いで、全く向き合おうとしない子もいます。こういう生徒達にはこれから何十年、幾度となく出会うと思います。

ですので、「今持っている生徒」と「これから持つ生徒」の顔を思い浮かべると、単なる諦めや反省で終わらせるのではなく、「何か」を盗んで自分のものに昇華させなければならないなと思うわけです。

◆ 確かに存在する障壁

しかし、

「△△中学(高校)全体としてのサポート体制が出来上がってるから上手くいくんだ」
「やっぱり△△中学(高校)の生徒だからできるんだ」

と思ったのは確かな事実であり、そしてこの考えは間違いではないのだろうと思います。故に、今回の研究授業における先生方の提案を、そのままの形で私の現在・これからの授業に取り入れることは極めて困難であると考えます。特に、以下で述べる2点に関しては、今とこれからの確かな障壁として立ちはだかるだろうと思います。

① カリキュラム・指導の連携上の壁

今回私が特に興味を引かれたのは、複数の帯活動と本時の活動を組み込んだ「オムニバス形式の授業展開(中3)」でした。「授業の活動同士に繋がりをもたせよ」と言われるこのご時世において、この単元・授業構成自体は非常に画期的(独創的)です。しかし、単元の中の長期的な視点で目標達成を目指すということや、その授業展開の想いや意図を伺うと、今後は主流な選択肢の一つとなりえる授業構成だと思います。

ただ、これを一般的なの公立中高や私立中高で行おうとするとき障壁となるのは、各学年のクラス間に生じる「カリキュラム・指導の連携上の壁」だろうと考えます。

一般に、クラス間で「学習内容」や「進度」の差を極力生まないよう、学年団の教科担当の先生はそれぞれ連携をとりながら授業を進めます。使用するプリントでさえも学年で共通のものを使用し、オリジナルで作成するワークシート等の配布・使用、特定のクラスでのみ行う活動などを控える学校もあるそうです。このため帯活動のための外部教材を追加で購入させるとなると、特定のクラスのみというわけにはいかず、結果的には全ての保護者の経済的負担も増えてしまうことになります。

そのため、今回の授業のように、外部教材の使用も含めた複数の「帯活動」を取り入れたオムニバス形式の授業は、学年団の共通理解が大前提となります。加えて、綿密に練った単元計画をきちんと遂行していくことができないと、一つの単元に相当の時間を要してしまいます。そうなると、短期的には定期考査等には影響があるでしょうし、長期的には年度内に終わらせるべき範囲が終わらず次年度に影響が出たり、生徒が身につける英語の力がぶれてしまったりします。こう考えると、学年団としてはこの形式の授業に反対される先生もいらっしゃると思います。

② 「想像力」「創造力」の壁

 これはこれまで私が出会った具体的な生徒のことを考えながらのことですので、一般的に当てはまるかといえば疑問ですが、書かせてください。

やはり中3の授業になりますが、文を4つ提示し、「それらの文を全て使用する」という条件で、ペアでストーリーを作りながら会話を続ける、という帯活動がありました。
即興で英語を使用する力や、相手の発言の意図を汲み取りながら応答するための「適応力」、その場でストーリーラインを作る「想像力」や「創造力」などが鍛えられ、発揮される活動であるなと感じました。
授業者の先生が「自己表現ではないけれどクリエイティブ」な活動であると仰っていた通り、この活動なら多種多様なストーリーが出来上がる面白みもありますし、何より授業でも簡単に取り入れることができるものだと思います。

ただ私が思うのは、「クリエイティブな活動をするための前提となる『想像力』や『創造力』はどのようにして培われるものなのか」ということです。或いは、「そもそも『想像力』や『創造力』は、英語の授業で培えるものなのか」ということです。

大学の先生方に言うと怒られるかもしれませんが、以前、会話文問題がどうしてもできないということで、使用されている英語の表現が日本語ではどのようなニュアンスになるかを確認しながら、日本語の文脈で会話を考えさせたことがあります。それでもその生徒は、次にどのような発話が来るのが自然なのか、かなり迷っていました。聞くと、「ニュアンス」や「文脈」というものがいまいち分からないそうで、本を読んでも意味が分からないので全く読まなくなった、と。即ち、発言から話し手の意図・意向を「想像」して読み取ったり、関係性や文脈からストーリーを「創造」したりということが、日本語であっても苦手なようなのです。

「それはそういう生徒なんでしょ」
「英語だからできないだけでしょ」

そう言われるとそうなのですが、上で書いたような活動を目にすると、その活動の「前提となっている力」の部分の涵養について、どのようにすればいいのだろうかと考えるわけです。
私を含め、英語の授業中の発問などをする際に、それこそ「行間を読み取って~」だの「文脈から~」だの言ってしまうと思いますが、その「前提となる力」に困難さを抱える生徒からすると「それができないんじゃい!」と言いたくなると思うのです。

「じゃあそれができるような『ヒント』を与えながら考えればいいじゃん」
「活動の手立てを工夫すればいいじゃん」

という人ももちろんいらっしゃると思いますし、間違いだとは思いませんが、私が個人的に考えているのは授業中の手立てではなく、「活動の前提となる力」ですので、「ヒント」を与えてそこまでのお膳立てをしてしまうと

「それは教員の用意した文脈・ストーリーでしょう?」
「この活動の醍醐味である『生徒のクリエイティブさ』は失われてしまいませんか?」
「ヒントつきの活動を繰り返せば、『想像力』『創造力』が涵養できるのですか?」

という気持ちになるわけです。「想像し創造する」ことが苦手な生徒からすれば、「じゃあ実際のコミュニケーションやテストの時には、誰がヒントをくれるの?」と言いたくなるはずなのです。

自分は昔から運動が得意ではなかったので体育の授業は嫌いだったのですが、サッカーならパスを受けてからシュートする練習、バレーボールならトスを上げてもらってアタックする練習なら上手にできました。
でも、実際のミニゲームになるとその練習が全く役に立たないのです。
それはそもそもの運動能力のせいもありますが、ダイナミックな競技スペースのなかで自分がどう動けばよいのか、あるいはどのようにゲームを組み立てるのか、上のようなセットプレー的な練習から、ほとんど鍛えられなかったのです。

ここでの「パス」や「トス」を英語授業で言う「ヒント」、「動き方」や「ゲームの組み立て方」を英語授業での「想像力」や「創造力」と読み替えていただければ、私の考えていることが分かりやすくなるかな、と思います。(んー、でもこれはあまり共感を得られないかもしれませんね。)

英語を即興で話す力や相手の発言に応答する力は、表現を知る、実際に練習してみる、などを通して、英語の授業でつけることのできる力だと思いますし、今回のような活動を繰り返すことで高まっていくと思います。
では、活動の肝になる「クリエイティブさ」の前提にある「想像力」「創造力」は、英語の授業でどのように担保していけばよいのだろうか、そもそも担保できるものなのだろうか、そう考えてしまうのです。(もちろん、使える表現を増やしたり、読解の中で気づかせたりというのも一つの手ではあると思うのですが・・・)

◆ 壁を取り払い、自分のものに昇華させるには

 正直言って、これらの壁を取り払うために、具体的に何をどうすればよいのか、全く分かりません。凄い授業を見るたびに、何かを盗みたいと思うのですが、いつも分からなくなります。(実際の学校現場を自分はまだまだ知らないので、当然といえば当然なのですが・・・)なので、考えすぎとも言われますし、どうでもいいじゃんと言われることもあります。その度に「諦めろ、お前には無理だよ」と言われている気がして、実は結構凹むのです。でも、「お前が未熟なんだ、もっと勉強しろ」と言われているのだと脳内変換して、今回の学びを無駄にせず、壁を乗り越え克服するための方法を模索し続けようと思います。このように思えたことも、今回の研究会の大きな収穫だったと思います。

長駄文を最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。

率直なご意見やご感想などがあればコメントを下さると幸いです。

2 件のコメント:

  1. 記事読みました!mochiです!

    自分も同じ授業を見学しましたので、お互いしか通じない話題かもしれませんが、それでも興味深い記事でしたので、自分の感想を書かせてください!特に、カリキュラムの問題と「想像(創造)力」について考えました。
    一つ目は全く以って同意しますが、二点目については記事で論じられている内容が少し自分の見解と異なる気がしますので、考えを伺えればありがたいです!

    (1) 学校環境・カリキュラムの問題

    まずは学校環境とカリキュラムの問題です。この学校環境を規定するのは困難かもしれませんが、学習者や教師といった人的資源に加えて、土地や校風、文化的背景など多くの要因があると思います。そしてそれぞれの学校は教育目標・教育手段を立ててカリキュラムを作成します。このカリキュラムは学校が自由に立てられるものではなく、実は社会的・政治的な枠組みのなかにあることも重要かもしれません。

    教育活動がカリキュラムに位置づけられる以上、そこにプログラミングされていないことを行うのは困難かと思います。だから、たとえば附属学校で行われる実践をそのまま行うことなどは不可能で、学校・生徒・先生
    ・カリキュラムが変われば、求められる授業も異なると思います。

    Ninsoraが研究授業を観察して思った違和感は、やはり現場で教える経験を持っているからこそ持たれたものなのだと思います。(自分はどちらかといえば、Ninsoraの言う「凄いものを見た!」という感じだったので、その視点はさすが現場感覚をつかんでいるNinsoraだなと思いました。)

    その意味では、現場経験を持たない自分の意見がここで力を持つとは思いません。大学院で2年ほどいる身としてはどうしても理屈が先行しますし、学習塾や某非常勤先などの限られた教授経験しかないので、Ninsoraの問題意識を共有できていないかもしれません。今回の記事は自分にとって、まさに開眼させられる思いでした。



    (2) 「想像(創造)力」について

    今回の記事で一点だけ疑問に思ったのが、「想像(創造)力」に関する記述です。

    以下、「想像(創造)力」について自分なりの見解を述べますが、予め断っておくと、僕はNinsoraの教室を観察したこともないので、誤った解釈が含まれている可能性もあります。もしあれば、ご指摘頂ければありがたいです。

    予め自分の主張をまとめると、以下のようになります。

    ● サポート付き英会話は、「想像(創造)力」を主眼としているのではなく、高次の「即興」性を目指しているのではないか。

    ● 「即興」は、(i)即自的、(ii)自発的、(iii)一貫的な活動であるが、クラスで行うとどうしても(iv)パフォーマンス性が出てしまう。

    ● サポート付き英会話という活動には(i)~(iii)を期待することは可能だが、(iv)はあくまでも創発的に生まれたものだけを期待すればよいのではないか。

    2.1. 議論したい箇所

    >>やはり中3の授業になりますが、文を4つ提示し、「それらの文を全て使用する」という条件で、ペアでストーリーを作りながら会話を続ける、という帯活動がありました。
    即興で英語を使用する力や、相手の発言の意図を汲み取りながら応答するための「適応力」、その場でストーリーラインを作る「想像力」や「創造力」などが鍛えられ、発揮される活動であるなと感じました。

    >>ただ私が思うのは、「クリエイティブな活動をするための前提となる『想像力』や『創造力』はどのようにして培われるものなのか」ということです。或いは、「そもそも『想像力』や『創造力』は、英語の授業で培えるものなのか」ということです。

    >>「じゃあそれができるような『ヒント』を与えながら考えればいいじゃん」
    「活動の手立てを工夫すればいいじゃん」
    という人ももちろんいらっしゃると思いますし、間違いだとは思いませんが、私が個人的に考えているのは授業中の手立てではなく、「活動の前提となる力」ですので、「ヒント」を与えてそこまでのお膳立てをしてしまうと
    「それは教員の用意した文脈・ストーリーでしょう?」
    「この活動の醍醐味である『生徒のクリエイティブさ』は失われてしまいませんか?」
    「ヒントつきの活動を繰り返せば、『想像力』『創造力』が涵養できるのですか?」
    という気持ちになるわけです。「想像し創造する」ことが苦手な生徒からすれば、「じゃあ実際のコミュニケーションやテストの時には、誰がヒントをくれるの?」と言いたくなるはずなのです。



    あの活動を見ると、やはりパフォーマンス性が強い活動だなという印象が強いかもしれません。あるいは、「想像(創造)力」がない人たちにとっては辛い活動だなという気がしなくもありません。

    ただ、あの活動はあくまでも「即興」的な会話を練習しているにすぎないのではないかというのが自分の考えです。

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  2. (承前)



    2.2. 「即興」の定義

    ここで言う「即興」性は、(i)即時性、(ii)自発性、(iii)一貫性、といった特徴があると思います。

    (i) 即時性は、即興が「予-見することができない(im-provisation) 」という語源を有するように、後に起きることに対して事前に予測を立てられないことを指す。

    (ii) 自発性は、他者の言葉を借りるわけではなく、自らの言葉を用いることである。あるいは、他者の言葉であっても、それが自分の言葉として発されていれば成立する。

    (iii)ただし、いくら即興といっても、出鱈目な発話の連続であれば対話にならない。即興的な対話にはそれなりの「一貫性」が見いだされる。この一貫性は、外から与えられた終着点 (ends) に向かって発話が配置されるという意味ではなく、他者と自分が生み出す発話によって方向付けがなされ続けることで生まれるものである。

    ここまでで「即興」の概念の説明は終わりますが、どうしてもこのような活動は、そのライブ性から「(iv)パフォーマンス性」が生まれます。

    (iv) このような即興的な会話だが、授業中に行うときに、大喜利的になることがある。それは、即興的な会話特有のライブ感のために盛り上がったり、緩やかに作られた方向付けを思いも寄らない方法で裏切ったりすることで生まれるだろう。このパフォーマンス性を活かすのが即興演劇であるが、授業中にこの要素があまりに強まりすぎると「ウケ狙い」のゲームと化してしまう危険性があり、このような想像力がない学習者にとっては辛い時間になる可能性がある。

    Ninsoraの記事を読んでいると、どうも(iv)の要素がプレッシャーに感じているのではないかと思いました。

    中原・高尾 (2012)『インプロする組織』 によれば、即興演劇ワークショップで参加者に強調されるのが、「頑張り過ぎない」「Give your partner a good time.」である。笑いやオリジナリティを追求しすぎると身体が強張ってしまい、上手くいかなくなってしまうこともあるので、「がんばりすぎない」で「相手によい時間を過ごしてもらう」ことを念頭に置いてもらうだけで、参加者は安心して取り組むことが出来るという。理論的背景はないが、即興演劇に長年取り組んできた筆者らが経験則から見出した重要な法則と言って良いと思います。


    2.3. 「サポート付き英会話」の再分析

    そこで、今回の研究授業で見た「サポート付き英会話」という活動を、次のように理解してみてはいかがでしょうか。

    ● 活動内容
    教師がサポートを与えて、生徒が即興的に会話を行う。


    ● 教師の狙い
    ここで教師が狙うのは、会話表現を即興的に行うことである。その即興的な会話とは、(i)即時性、(ii)自発性、(iii)一貫性、である。
    (もちろん創造的な表現や想像世界表出が見られればおもしろいが、それらは学習者の側から出てきて初めてフォーカスを当てればよいし、クラスが盛り上がれば尚のこと良い。でもそれは付随的に生まれるもの。)

    ⇒つまり、まったく非創造的・非想像的な会話であったとしても、条件を満たしていればOKである。

    もしこの見方でよければ、この「サポート」を学習者の状況を見て変更することができる。たとえば、今回のように4つの文を全て使え、という指示でも良い。ただ、想像するのが苦手な学習者が多いなら、次のようにサポートを手厚くしても良い。
    *4つの文のうち2つは使ってみよう
    *最初は Good morning.で初めて、途中で It's interesting, isn't it?という台詞を必ず一回使う。
    *最初の会話の出だしは台本として学習者に渡すが、その台本は「未完成の台本」で、途中からは学習者同士で作り上げる。

    あくまで大事なのは、「面白さ」や「想像(創造)力」は、あまりに価値付けしすぎてはいけない。上の中原・高尾らが言ったように、参加者には「頑張り過ぎない」ことを伝え、たとえ面白い発話をした学習者がいたとしても教師があまりに反応しすぎれば、「ウケ狙いのゲーム」となり、想像するのが苦手な子がいっそう活動したくなくなることが予想されるから。

    また、創造力・想像力を用いる活動の際は、本当に何を言っても受け入れるくらいの覚悟が教師にいると思います。現にインプロワークショップなどで参加者の発言や提案を「否定」することはタブーで、とにかく何を言っても聞いてもらえる、くらいの自由な空間が必要になります。

    (英語授業では推論発問をしたときの雰囲気に似ています。)


    2.4.最後に

    Ninsoraの問いに対応させるなら、以下のようになります。

    ●「クリエイティブな活動をするための前提となる『想像力』や『創造力』はどのようにして培われるものなのか」ということです。或いは、「そもそも『想像力』や『創造力』は、英語の授業で培えるものなのか」ということです。

    ⇒創造力や想像力を英語の授業で「意図的に」育成する必要性は必ずしもないと思います。
    ところが「思考・判断・表現」が今後も強く叫ばれるなら、「創造的思考力」といった既成の概念が都合よく用いられて、教育現場に広まってしまう可能性も有るかもしれません。これが下手に「評価」などの議論が入り込んで、学習者の豊かな想像力を画一的なメスで評価するとすれば大惨事だと思います。

    ただし、想像力を外国語教育でつけるべきではないか、という目的論を提唱する立場もあります。(相互文化的能力の育成を主張するバイラムらはこの立場だと思います。

    個人的には、授業で文学作品を扱ったり、他者と自己の価値観に触れながら少しずつ広げていくことが大切だと思いますし、コミュニケーションを目標とする英語科はこの想像力育成に寄与する部分が大きいのかもしれませんね。なので、「意図的に」育成しろ!とまでは主張しませんが、他者を巻き込む言語活動を通して「結果的に」想像力が育成されるというのが自分にとっての理想です。
    (教育学的にはずるい答え方になってしまいました。笑)




    ● 私が個人的に考えているのは授業中の手立てではなく、「活動の前提となる力」ですので、「ヒント」を与えてそこまでのお膳立てをしてしまうと「それは教員の用意した文脈・ストーリーでしょう?」「この活動の醍醐味である『生徒のクリエイティブさ』は失われてしまいませんか?」「ヒントつきの活動を繰り返せば、『想像力』『創造力』が涵養できるのですか?」という気持ちになるわけです。

    ⇒なので、「想像力」「創造力」がこの活動の前提条件となると判断して、なおかつ教室の学習者の実態に合わないなら、無理に行う必要がない活動だと思います。

    ただ、「想像力」「創造力」は必ずしも前提条件ではないと僕は思いますし、創造するのが苦手な子が多いなら、その分「お膳立て」をしてあげればよいと思います。別にこの活動で「生徒のクリエイティブさ」は醍醐味も何でもないと思うからです。

    そこで自分が気をつけたいのは、創造的な答えを言う子がいても、教師が過度に評価してしまわないことです。笑いが起きたら一緒に笑えばいいですが、「お前面白いよな!」「みんなも彼を見習って、もっとクリエイティブになろう!」みたいになったら、至極気持ち悪い学級になると思います。




    ●「想像し創造する」ことが苦手な生徒からすれば、「じゃあ実際のコミュニケーションやテストの時には、誰がヒントをくれるの?」と言いたくなるはずなのです。

    ⇒実際のコミュニケーションでは上のように「4文を必ず使え」という条件が課されることはありませんし、創造性を評価するという愚策に日本が走らなければ評価する必要も無いので、この点については問題ではないと思いました。






    結果的に長々と書いてしまったすみませんでした(笑)

    改めて、記事自体は本当に面白く読ませてもらいました。ただ、「想像」に対する捉え方が少し自分と違うと思ったので、その点についてのみNinsora君の意見を伺えればありがたいです。

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