2014年2月11日火曜日

第3章 方向的等価

こんにちは。

昨日、食堂のバイトに行くと、「チキン他人丼」というメニューが新しく出ていました。「鶏肉が入っているのに、どうして他人?もう親子で良いのでは?」という疑問が解決せず、バイトの先輩と話しこんでいた mochi です。(未だに謎が解けないw)


さて、翻訳勉強会の準備として、第3章のまとめを下に載せます。

引用箇所は最小限にとどめ、自分なりの解釈や具体例をはさんでいるので、本書に忠実というわけではありません。客観的な理解を望まれる方は、本書を手にとってお読み下さい。


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第3章 方向的等価



チェスタマンによる2つの類似性

前回の第2章と本章を結び付けるには、チェスタマンの以下の分類が分かっていると大変分かりやすいです。

(1) 分岐的類似性 (divergent similarity)

A → A’
    A''


これは、翻訳者が翻訳作業をどう見るかを表しているかもしれない。つまり、新しいテクストが生成され、それはいくつかの点で起点テクストに似ているが、起点テクストに取って代わるものではないし (起点テクストは存在し続ける) 。多数の可能な訳出のうちの一つにすぎない (他の翻訳も可能であり、将来は別の翻訳が生まれる可能性もある) 。 (p.44)

→ポイントは、①方向性がある、②多様な訳出の一つにすぎない、の2点である。たとえば、親が子どもに似る、ということはあるが、子どもが親に似る、ということは(遺伝では)考えられないため、方向性があるといえる。また、親(A)から子1(A’)が生まれても、子2(A’’)や子3 (A''') という他様な姿にもなりえたわけで、多様な選択肢の1つという点も合致する。

(2) 収束的類似性 (convergent similarity)

A ⇔ B

これは、翻訳の受容者が翻訳をどう見るかを表しているかもしれない。つまり、Aに求めるものがBにもあると想定している。  (p.44)


→ポイントは、①方向性がない、②唯一の訳出しかない、という2点である。翻訳をしたことがない人はしばしばこのような考え方をするわけで、塾で生徒にある単語の訳を複数 (then はそして、それから、そのときetc…) というと戸惑った顔をすることがあるのは、彼らが収束的類似性を持っているからだろう。また、この収束的類似性は自然的等価に対応しているのではないか。

⇒さらに追記。英英辞書 (monolingual dictionary) は分岐的類似性で、英和辞書 (bilingual dictionary) や単語帳は収束的類似性的発想とはいえないか。


■ 方向的等価とは

ここまで読むと、方向的等価は分岐的類似性に基づく概念であることが理解しやすい。

方向的等価とは、ある方向で翻訳した際に作り出される等価が、逆方向に翻訳した際には成立しない、というアシンメトリー (非対称的) な関係を指す。 (p.42)

※以下の動画は相変わらず分かりやすかったです。




例えば、ジブリ映画の翻訳を考えよう。「千と千尋の神隠し」は多くの言語に翻訳されており、英語版では "Miyazaki's Spirited away" とされている。もしも自然的等価の立場なら、「千と千尋の神隠し」と等価なものが自然にあると想定し、「千と千尋」という部分が抜けている英語版タイトルをあまり等価としないかもしれない。しかし、方向的等価では、日本語版から英語版に訳すときに、翻訳者が数ある訳出方法の中から "Spirited away" という表現を選ぶわけである。なぜ方向的かというと、ジブリ映画の場合は日本語から英語に訳すという方向性があるためである。

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ちなみにドイツ語版では、 "Chihiro's Reise ins Zauberland" (千尋の神の国での旅) と訳されており、日本語版での 「神隠し」 というニュアンスからは少し離れている気がしないでもない。


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↑ドイツ語勉強のため、ただいま注文中(^^) 春休みの楽しみの1つです!(笑)


方向的等価の特徴として、多くの理論が二項対立であることがある。たとえば、顕在化翻訳は潜在化翻訳と対立であるし、ナイダの形式的―動的も対比といってよいだろう。

さらに面白いのは、翻訳の定義にも方向性が見られることがあるということだ。以下は有名なナイダによる翻訳の定義である。

翻訳とは、起点言語のメッセージに最も近い自然的等価を受容言語にて再現することである。 (p.45) 

これも、「再現する」という語が示すように、起点言語から目標言語へという方向性が見られるため、方向的等価の立場にある。ただ、「再現」ということは、もともと自然に等価があることを含意しているため、まだ自然的等価の要素も残している。後のキャットフォードは「置き換える」という表現を用いており、その頃には完全な方向的等価しか感じられない。


■ カーデ (Kade) による等価の種類

カーデの分類は、以下の通り。無学なため、初めて知った区分なのですが、とても納得できるところがありました。

(1) 一対一 (Eins-zu-Eins)
起点言語の一つの項目が目標言語の一つの項目に対応する。特に専門用語の訳出は、起点言語にも目標言語にも対応するものが1つしかないことが多いため、一対一である。カーデ自身はこれを「完全等価」 (p.48) と説明している。

(2) 一対複数もしくは複数対一 (Viele-zu-Eins)
ある言語の一つの項目が、別の言語のいくつかの項目に対応する。先ほどの「千と千尋の神隠し」も色々な訳し方が英語では考えられたはずで、そのうちの1つの "Spirited away" を用いたのならば、これに属するだろう。

(3) 一対部分 (Eins-zu-Teil)
部分的な等価のみが可能で、その結果、「近似的等価」となる。中学1年生に英語を教えていて毎年起こることだが、「brother は兄・弟の両方を指すんだよ」と説明すると、「えー!?」「なんで!?」「兄さんだけを言いたいときはどうすればいいの?」と混乱する子も多い。これは、brother という単語の意味の一部のみが日本語の「兄」あるいは「弟」という語によって表されているからである。つまり、brotherには年上・年下の両方の意味があっても、「兄」には年上、「弟」には年下という意味しかない。


(4) 一対ゼロ (Eins-zu-Null)
目標言語において等価が存在しない。南蛮学時代に philosophy という単語を訳出するとき、フィロゾホと訳している。これは、 philosophy というものに対する等価が当時存在しなかったためだろう。(「哲学」という言葉は明治時代の西周まで使用されなかった。)一対ゼロの場合は、手法としての借用を行うこともあるだろう。


■ 方向的等価の二項対立性

キケは、ギリシア語からラテン語への翻訳における二つの異なる方法を概念化した。一つは ‘ut interpres’ (直訳主義の解釈者の如く) 、もう一つは ‘ut orator’ (演説者の如く) で、つまり、直訳的か意訳的かということである。 (p.51)

→この「直訳か意訳か」という対立は方向的等価によく見られる区分であり、その後以下のような理論へと派生していった。たとえばキケロの「直訳主義の解釈の如く」「演者の如く」は翻訳者の解釈が入り込む余地の違いで対立関係にある。他にも、シュライアーマハーの「異化作用」と「同化作用」、レヴィーの「反・幻想的 (翻訳にみえる翻訳)」と「幻想的 (翻訳にみえない翻訳)」などもある。

このような二項対立を知ると、その中間もないのかと気になるが、ピムはあくまで二項対立は翻訳者の思考様式の便宜上の区分にすぎないとしている。

翻訳には二つの側面(起点と目標)があるので、自己言及を達成するには二つの方法が可能であり、翻訳者がどの立場から訳すかには二つの可能性がある、ということだ。これは、方向的等価はある種の翻訳にとっては非常に適した思考様式であり、二側面のみに目を向けたそのような翻訳は、人々を個々の言語や国に振り分けて一方の側に留めておくのに特に適していると示唆しているかもしれない。 (p.58)


■ 関連性理論 (Gut)

ガットという人物は、自然的等価は無限の等価を作り出すことができてしまい、理論としては自由度が高すぎるという点で批判し、方向的等価の二項対立を二区分する。

まず、 顕在化翻訳(翻訳っぽい翻訳)と潜在化翻訳(翻訳っぽくない翻訳で、まるで原典などなく自分の言語で書かれたと思えるような翻訳)に区分し、顕在化翻訳のみを対象とする。そして、 顕在化翻訳の中でも、以下の通り区分した。 (p.59)
・「間接的翻訳 (indirect translation) 」・・・起点テクストの文脈への参照なしに成される全ての種類の翻訳
・「直接的翻訳 (direct translation) 」・・・起点テクストの元の文脈を参照するもの

少し話が抽象的になってきたので、ここで具体例をみてみましょう。(うちの大学の方はどこかで見たような例かもしれません。)

会社で夜遅くまで仕事をしています。皆さんの隣に座っている同僚は仕事に忙しそうで、コーヒーを入れてあげることにします。あなたは、 「コーヒーはいかが」と尋ねます。そのときに、相手が 「コーヒーを飲むと目が冴えるからね」 と言ったとき、あなたはコーヒーを相手に入れますか?それとも入れませんか?


この話の解釈には、相手のイントネーションや言い方も必要ですが、文脈によって私達は相手の意図を推定することができます。もし相手が今日中に仕事を片付けなければならないとすれば、「コーヒーを飲めば目が冴えるから、ありがたくいただくよ」という意味にとれるので、コーヒーを入れてあげるでしょう。

しかし、これが唯一の解釈ではありません。相手が明日朝早い仕事があるのかもしれません。今日はこの仕事が終わったら家に帰ってすぐに寝たいと思っているのかもしれません。それなら、先ほどの発話は「コーヒーを飲むと目が冴えてしまうから、今日は遠慮しておくよ」と、先ほどとは逆の意味になり、コーヒーの申し出を断る発話として解釈されます。

これが関連性理論のいう guided interpretation なのですが、翻訳学に話を戻します。

みなさんは、これから上の話を英語に訳すとしましょう。みなさんは翻訳者なので、この話の前後の関係も理解していて、正しい解釈が「発話者が今日中に大量の仕事を片付けなければならないので、コーヒーを欲しがっている」ということが分かっています。(先ほどの前者の解釈になります。)

このとき、翻訳者は以下の2通りで訳すことが可能だとしましょう。
(a) 「Coffee would keep me awake」
(b) 「Yes, please. Thank you.」

さて、どちらの方がよりよい翻訳なのでしょうか。

(a) の方が原典に忠実ですが、もし文脈が読み手に伝わらないなら、勘違いが起きてしまうかもしれません。 (b) (c) は解釈の可能性が限定されますが、原典から離れています。この問いに対して、ガットなら以下のように答えると想定されます。
つまり、この問いに答えるには、文脈が相手に伝わるかどうかが肝心で、 (b) を読む人は想像力を働かせる必要があります。(「コーヒーの申し出を受けたということは、まだ仕事がたまっているか疲れているかだろう。」)


関連性理論については、春休みの勉強会で使う以下の本が参考になります。(自分も格闘中ですがw)


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