ページ

2013年12月5日木曜日

翻訳学をとりまく近年の議論:Juliane House(2008) "Translation" Oxford: Chapter 6

こんにちは。

最近はバイトも少し落ち着いて、自分のことに使える時間がだんだん増えてきました。

この半年ほどドイツ語教室に通っています。やっと現在完了や過去基本形まできて、少し達成感を覚えているのですが、ドイツ語の不規則変化を覚えなければならないと分かったときに、「自分の塾の中学生はこんなに大変な作業をしていたのか」と実感。(人にやらせる前に、まずは自分でやれ!と中学生から突っ込まれてしまいそうですが、)やはり覚えるのは大変ですね。「来週までに覚えてくるんよ!」といわれるだけでは、まったくやる気が出ないことに気づき、しみじみ普段の自分の指導の不徹底さを反省。


さて。今日で翻訳読書会も最後になったので、そのまとめだけ下に載せておきます。
ここで翻訳学の勉強をしなおしていて、改めて翻訳という行為の面白さであったり、言語の持つ可能性を再発見できました。

Chapter 6では以下の4つの話題が述べられているので、順番どおりに、且つ具体例などを織り交ぜながら紹介していきたいと思います。

・Translation as intercultural communication(異文化間コミュニケーションとしての翻訳)
・The nature of translation process(翻訳プロセスの本質)
・Corpus Studies in translation(翻訳のコーパス研究)
・Translation and Globalization(翻訳とグローバリゼーション)


Translation as intercultural communication(異文化間コミュニケーションとしての翻訳)

以前にも説明がありましたが、改めて確認から入りましょう。

covert translation(潜在化翻訳)では、翻訳作品であるにも関わらず、あたかも原著者が書いたように訳すことを指します。
それに対してovert translation(顕在化翻訳)では、読んで「これは翻訳作品だ」とすぐに分かるように訳すことです。

たとえばJ.D.Salinger による “The Catcher in the Rye” はいくつかの翻訳が出ていますが、村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳は、あえて英語らしさを残した訳し方がされています。下はホールデンがフィービーを探しているときに出会った子供たちとの会話です。

キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャー・イン・ザ・ライJ.D.サリンジャー 村上 春樹

白水社 2003-04-11
売り上げランキング : 44031


Amazonで詳しく見る by G-Tools

「僕はフィービーのお兄さんなんだよ。フィービーが今どこにいるか知らない?」
「ミス・キャロンのクラスにいる子でしょ?」とその子は行った。
「えーと。どうかな。たぶんそうじゃないかと思うけど」
「じゃあきっとミュージアムに行ってるはずだよ。先週の土曜日にわたしたちが行ったから」とその女の子は言った。
「どっちのミュージアム?美術館か、博物館か、どっち?」と僕は尋ねた。
彼女はちょっと方をすくめるような格好をした。「わかんない」と言った。「とにかく、ミュージアム」(p.197) 
※注:下線筆者による。 


この部分はmuseumという英語の特徴を用いたエピソードでした。日本語訳としては村上訳しか読んでいないのだが、この部分だけ読んでも明らかに英語の作品を翻訳したのだな、と読者は感じるでしょう。上の定義にあてはめるなら、この部分の訳し方は顕在化翻訳でしょう。
この部分をもし潜在化翻訳するとしたら、どうなるだろうか。毎度拙い訳で恐縮ですが、以下のような訳し方もあり得ないのでしょうか。

「あの子はどこに行ったって言ったかな。なんとか館っていっていたけど。」
「何館かな?美術館?それとも博物館?」と僕は尋ねた。

この訳し方では、読むだけでは英語の原作があったとは感じにくい。したがって、先ほどの村上訳と比べて潜在化翻訳と呼べるのではないのでしょうか。


※補足※
ちなみに、訳者である村上氏は『翻訳夜話2サリンジャー戦記』で、原著者であるサリンジャーの文体をできるだけそのまま伝えようという姿勢をとっていることを明かしている。したがって、ホールデンの話し方やリズムなどを再現する工夫が多く紹介されている。翻訳のみならず文学的な解釈という点からもとても面白い本です。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)村上 春樹 柴田 元幸

文藝春秋 2003-07-19
売り上げランキング : 105587


Amazonで詳しく見る by G-Tools

さて、covert translation と overt translation に戻りましょう。それぞれについて、一部原文から引用します。

In a covert translation, a ‘cultural filter’ is applied in order to adapt the source text to the communicative norms of the target culture. (p.71) 
潜在化翻訳では、「文化フィルター」によって原典を目標文化でのコミュニケーションの基準へ合わせる。 
In overt translation, intercultural transfer is explicitly present and so likely to be perceived by recipients. They are presented with aspects of the foreign culture dressed in their own language, and are thus invited to enter into an intercultural dialogue. (p.72) 
顕在化翻訳において、異文化間的転移ははっきりと表れているため受容者にとって感じ取りやすい。受容者の既得言語を身に纏った外国文化の側面が表れ、異文化間的対話の世界へと読者は招待される。

どちらのタイプで翻訳するかによって、読み手に与える影響は大きく変わることが分かって頂けるかと思います。また他の人文系や社会学と同様、ポスト現代主義、ポストコロニアル主義、またフェミニズムの影響によって、翻訳学の対象は言語そのものから、文化へと変わってきている。すると、翻訳者達はこれまでよりも高い位置が与えられ、原典の文化をいかに目標文化に伝えるか(あるいは伝えないで改変するか)といった選択権を持つことになり、そこには翻訳者の意図がつねに関わってきます。



The nature of translation process(翻訳プロセスの本質)


Translationという用語は翻訳プロセスを指すこともあれば翻訳プロダクトを指すこともある。これは、現象学において意識が意識作用と意識対象(ノエシスとノエマ)に区別されたことと似ています。

したがって、翻訳学の研究でもプロダクト研究とプロセス研究に分けられます。プロセス研究では、翻訳中に考えていることを話してもらう thinking aloud ( introspection ) や、翻訳後すぐに翻訳最中のことを振り返ってもらいプロセスを明らかにする retrospection などが手法として用いられています。

翻訳プロセスを研究する際には以下の点に気をつけなければなりません。

In using the term process of translation, we must bear in mind that we are here dealing not just with one particular unitary process but with a complex series of problem-solving and decision making operations. (p.75)
翻訳プロセスという用語を使う際に気をつけなければならないのだが、私達はここで1つの特別なプロセスではなく、複雑な問題解決および意思決定の作動の集まりを扱っている。

今日の翻訳プロセス研究で得られている仮定には、翻訳者は少なくとも自分がしていることを統制し、頭の中での活動に“部分的に”入り込めるというものがあります。つまり、意識的な活動と無意識的な活動があるとして、意識的な部分は言語化可能であるが、言語化不可能な無意識な部分の存在も認めています。


※余談※
閑話休題。先日のルーマン読書会では意識と無意識の話になりました。読書会の参加者の中に合気道を嗜まれている方がいらっしゃり(!?)、韓氏意拳という話を伺うことができました。その方によれば、武道では意識によって体を動かしてしまうと相手にすぐに察知され技を止められてしまう。しかし意識して体を動かすのではなくて、体が動くままに(自然に)動かせることで、相手に自分の動きが察知されないようになるらしく、そのためには練習中もずっと自分の体の状態を「感じ」、自然に体が動くのを「感じ」るとおっしゃっていました。

正直この話を聞いてもあまり実感がわきませんでした。自分にもこのような経験はあまりないと思いましたが、実は日常生活でも体が自然に動くことはよくあるそうです。たとえば足元に段差があってつまずいたとき、意識はしなくても足が勝手に動いて転ばずに済みます。これも体が自然に動くことの例です。他にも眠っているときにかゆいところを勝手に掻く動作も意識はしていないはずで、このように動作の中には意識によってコントロールを受けなくてもされる部分が多くあるはずです。(しかし、西洋的発想で因果関係のもとに人の動きを分析しても、このような自然に任せた身の動かしは扱えない・・・。そこに東洋武道やルーマンのシステム理論が活躍するのかもしれません。)

この話を聞いて、翻訳でも「意識」をして統制をかけながら作業をする反面で、優れた翻訳者であれば言語化はできなくても、自然に上手な訳をするための工夫が体にしみついているのかもしれないと感じました。

(長々とすみません。急いで本題に戻ります。)



Corpus Studies in translation(翻訳のコーパス研究)

コーパスとは簡単に言えば言語使用のデータベースで、たとえば、日本語では「少納言」といったウェブサイトがあり、英語にはBritish National Corpusがあります。

翻訳学でのコーパス使用は以下の利点があります。
・実際に翻訳で用いられる言語使用であるため、言語に焦点を当て、テクストタイプとしてどのような典型例があるのか決めることができる。
・単語の組み合わせを知ることができる。
・parallel corporaによって翻訳の分析を行うことも可能となる。
・目標言語で書かれた文章と、目標言語の翻訳の文章を比べて、翻訳がどのように完全な文章と異なるかを調べることができる。

翻訳学でのコーパス研究はまだ新しい領域であるが、文脈がある豊富なデータを用いた量的分析や比較に終始してしまうべきではありません。

Translation and Globalization(翻訳とグローバリゼーション)

英語教育の議論において「国際化」という言葉は必ずと言っていいほど取り立たされるキーワードと言えると思いますが、翻訳学でも同様に「国際化」は入念に考えるべきでしょう(国際化と翻訳の議論を本書の最後にとってあったのも偶然ではないのかもしれません。)

モナ・ベイカー & ガブリエラ・サルダーニャ『翻訳研究のキーワード』では、「遠心的・求心的」という2つのタイプのグローバリゼーションの緊張関係について説明してあります。


翻訳研究のキーワード
翻訳研究のキーワード藤濤 文子

研究社 2013-09-25
売り上げランキング : 272355


Amazonで詳しく見る by G-Tools

一方の求心的なタイプはグローバリゼーションを均質化と捉えるもので、暗に帝国主義、征服、ヘゲモニー、西洋化、アメリカ化を指す。他方の遠心的なタイプは、相互依存、相互浸透、異種混交、シンクレティズム、クレオール化、横断等をもたらすものとしてのグローバリゼーションを指す。(pp.102-103)

大幅な言い換えになってしまいますが、翻訳することで「世界が均一になる」ととらえるなら遠心的であり、翻訳することで「世界がつながる」ととらえれば求心的といえると思います。

国境を越えて情報を伝える際には、翻訳という行為は必要不可欠になります。特に近年翻訳学で生まれた領域にローカリゼーション(localization)があります。ここでは、国際化にともなって、ある原文を特定の地域のために翻訳する行為を指します。たとえば日本の電子辞書が世界中に輸出されたときその説明書やマニュアルは日本語で書いてありますが、これを輸出先の言語で翻訳するのはローカリゼーションになります。

英語が大きな力を持つことになった今日、翻訳学研究でも念頭に入れるべき点が最後に述べられています。

Translators should intervene in cases where the translation flow in certain influential genres (economic and scientific texts, for example) is exclusively unidirectional - from English into other languages, but never the other way round. Clearly, there is a paradox here, as in all translation: this is not yours, but I shall make it available to you, I shall bring it over to your side, I will translate it, ( p.81 ) 
特定の影響力のあるジャンル(例えば経済学や科学的文章など)が絶対的に一方通行-英語から他言語で、決して逆ではない-という場合、翻訳者は介入をするべきである。明らかに、全ての翻訳には逆説がある。この文章は君たちのものではないが、私が君達でも読めるようにする。君達の方に持っていってあげて翻訳してあげる。


翻訳を言語のみでとらえたり、文章(text)という単位のみで分析するのではなく、この文章をその言語で訳すことが果たしてどのような影響を与えるのだろうか、という点まで踏み込むことが、国際化という今日の特殊な文脈で翻訳学は求められているのかもしれません。


大変長々となってしまいましたが、本書のまとめはこれで終わりです。

読みにくく分かりにくい記事で、申し訳ありませんでした。(特に翻訳の文章にも関わらず、邦訳が読みにくすぎる・・・。)
今後も翻訳について面白い文章があれば、記事にまとめてみたいと思います。

長々と最後まで読んでいただいた方には感謝申し上げます。




本記事はJuliane Houseの"Translation"のまとめ記事です。
他のChapterについては、以下の記事をご覧ください。


3 件のコメント:

  1. ドイツの大学のスラブ学科で言語学を学んでいます。大学で使っているテキストをわかりやすく日本語に訳してくださり、本当に助かりました。ありがとうございました。

    返信削除
  2. コメントありがとうございます。
    ドイツの大学にみえるのですね!翻訳論の文献でドイツ語が出てくることが多いので羨ましい限りです。
    なにか学ばれたことやお気づきの点等ありましたら、ぜひご教示ください。

    返信削除
  3. 2週間以内にCorpus Linguistics for Translationというテーマで主に(Parallel corporaなど)プレゼンしないといけないのですが、もしそれに関する説明が日本語であれば教えて頂けると助かります。初めて聞く単語でゼロからのスタートで、20分から30分くらいにかけてプレゼンしないといけなくて。。。

    返信削除