2013年7月16日火曜日

「英語教育、迫り来る破綻」のまとめ&感想

7/14(日)に東京都郁文館夢学園で開催された「英語教育、迫り来る破綻」という講演会に参加してきました。

もともとは2013年4月8日に出された「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」が発端でした。「高校では全員がTOEFL iBT 45点以上を達成」「大学受験資格及び卒業要件としてTOEFL等の一定以上の成績を求める」といった文言に対して、英語教育の専門家たちが各々の分野から反対意見を唱え、その運動の一環として今回の講演会が開かれました。
詳しくは『英語教育、迫り来る破綻』をご覧ください。

英語教育、迫り来る破綻
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さて、今回の講演会で出された論点を、講演者毎にまとめたいと思います。(繰り返しになりますが、私の恣意的な解釈が含まれる可能性もあるため、是非上の本をお読みください。)

■ 江利川春雄先生「グローバル企業の無謀な英語教育要求から子どもを守るために」


・TOEFLという試験は、性質上もともと大学受験資格や卒業要件には向いていない。
 中高の学習指導要領では、あわせて3000語を6年間で学習すると定められています。しかしTOEFLでは一万語超も頻出のため、レベルが異なる。よって、ダブルスタンダードとなる恐れがある。
さらに、大学の今日の英語の授業がTOEIC対策となりつつある現在、高校でもTOEFL対策となることを予想するのも容易い。

・英語教師の採用条件にTOEFLiBT80点を求めるとあるが、教師の力量は英語力のみではない。
 「教師の力量=英語力+指導力+人間性」という式を出されていましたが、確かに英語に堪能であってもそれを生徒に教えられなければなりません。また昨今の教育現場は、生徒指導も大変重要です。(ある先生に「英語教育だけでなく、生徒指導も重要なんですね」と申したところ、「違う。生徒指導が重要なの。」と言われたこともあります。)従って英語力のみ重視して採用すれば、英語はできど指導ができない教師が増える可能性もあります。

・学校の職場は「蟹工船」
 英語教員の7割以上が過労死線上で、そもそもの教育条件の見直しが必要です。今年6月には教育予算増額も案として出されましたが、残念なことに見直しとなりました。クラス人数、教育環境(ICTなど)、専任教員増員などの観点から根本的な教育条件の改革が必要でしょう。

・協同学習を取り入れた授業改善のすすめ
 詳しくは、『協同学習を取り入れた英語授業のすすめ』に記されています。上の数値化を軸とした案に対する代案として江利川先生が出されたものです。

※以前、サバ君と話したのですが、協同学習は見栄えもあって流行ることが考えられます。しかし、教師がすべてを生徒に任せてしまっては、生徒の学びも起きにくいと思います。したがって、協同学習協同学習の「部分的」導入が最も現実的な気がしており、江利川先生もそのようにおっしゃっていました。


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■ 斉藤兆史先生「英語教育混乱のカラクリ」


・日本語が英語を学ぶのは、もともと困難
 「どうして日本人は英語を6年間も勉強しているのに、こんなに話せないんだ」という意見を多く聞きますが、その原因として斉藤先生は言語の構造上の違いや環境を挙げられています。もともと日本語と英語は構造上異なっており、EFL環境で英語を話さなくても不自由なく生活できる立場にいる私たちにとって、英語の習得は非常に困難です。ところが、英語ができない原因を「教え方が悪い!」と決めてかかれば、「文法規則は教えるな」「文字を使うな」「訳すな」という方向に進んでいきます。
 しかし、言語上の違いや環境を考慮することで、上のような短絡的な提案ではなく、より現実的な考えにたどり着きます。

・母語教育を充実させるべし
 寺島先生の『英語教育が亡びるとき』でも論じられていましたが、やはりEFL環境において母語は重要となります。(詳しくはVygotskyの「母語獲得」と「外国語習得」の違い参照のこと。)現に移民者が母語を習得しないまま外国語を習っても、学力が伸びないという例もあり、母語と外国語は論じるに当たって切り離せない関係にあるのだと感じました。

・英語が使えるようになりたかったら、ある程度まで自分で努力すべし
 一見根性論のようにも読めてしまいますが、学校教育のみで英語が話せるようにするのは非常に困難です。(もちろん英語教師としては、厳しい条件にある中でどのように技能を伸ばすかを考えるべきですが。)

 当たり前のことで、自ら努力しないではできるようにはなりません。そのためにも、英語を学びたいという人に対して支援をする環境整備こそ、英語ができる人を増やす方策だとおっしゃっていました。


■ 大津由紀雄先生「わたしが小学校英語教科化に反対する3つの理由」

・原理的理由:小学校英語、必要なし、益なし、害あり。よって廃すべし
・教育政策的理由:小学校の先生方をその気にさせ、総括もしないまま、教科化=専科化への方向転換
・現実的理由:21,000もの公立小学校で良質の入門的指導ができるはずがない。

 大津先生は小学校での英語教育に特化した話で、特に「小学校外国語活動≠英語教育」という点が印象に残りました。
外国語活動の原点とは、「英語に触れてコミュニケーションの重要性に気づく」であり、現に大学で受講している指導法の授業でも「どのように技能を伸ばすか」という点はあまり論じられていません。

 これが「教科化」するとなったとき、「単に外国語活動が英語科と名前が変わるだけか」と感じてしまいそうですが、そこには大きな変化が2点あります。1つは英語のみを外国語ととらえている点です。複合言語能力(plurilingualism)の議論(詳しくは鳥飼先生の項参照)という言葉もありますが、英語のみ学んだからといってグローバル的とは言えないはずです。外国語活動では、ほかの言語についても多く紹介されているのですが、果たして「英語科」となったとき、ほかの言語の入る部分が保障されているのかが疑問です。2つめに、「学級作り」「コミュニケーションの重要性に気づく」という点がぼやけて、技能面重視となりうる危険性があります。英語(外国語)という手段を通じて集団形成する、という外国語活動が、英語という手段そのものに傾倒するともいえます。このように、ただ授業名が変わるだけではないということが分かって頂けると思います。


■ 鳥飼玖美子先生「英語教育~慢性改革病とグローバル人材症候群に苦しむ」

・複合的言語能力(plurilingualism)の観点から、英語のみを扱う危険性
 グローバル人材育成推進会議によって出された「グローバル人材育成戦略」では、「語学力」をグローバル人材の一要素としています。

 しかし、TOEFL等をの外部試験の活用を推奨していることからも、「英語」を指していることはすぐ分かります。すると、国全体の方針で「英語」を外国語として一辺倒に扱うことになりますが、「グローバル」な時代であればむしろ多言語に関心を抱いていることがのぞましいはずです。
江利川先生も本書p.9で「英語ができればグローバル人材か」で論じている通り、中高の「外国語」という科目でも、英語以外を扱っているのは2012年度で1352校あります。この現状を無視して英語のみを推し進めるとも言えます。

 (フロアからの質疑応答で「英語教師こそ外国語を学び、英語以外の言語を学ぶよう生徒に薦めるべきだ」という意見がありました。これは自分も賛成で、現にドイツ語や中国語のような外国語を改めて学びなおすと、中学生に当たり前にやらせていることがどれほどしんどいことなのか分かります><)

■ 質疑応答

・翻訳について
 せっかく著名な翻訳家の方々がいらっしゃったこともあり、「翻訳が英語教育で果たす役割はどのようなものがあるか」という質問を出させて頂きました。すると斎藤先生から「訳すことが先入観によって否定されているが、英語と日本語を自由に行き来することも豊かな言語活動」「Grammar Translation Methodと日本式の訳読を区別するべき」といった話をして頂きました。これについては交流会でも鳥飼先生から、翻訳をいつどこで導入するかが鍵である、というご意見を頂きました。(お二方とも、著書を読んだことから、お会いできただけでも感激でした。しかも丁寧に話を聞いていただけて、とても嬉しかったです^^)

※Grammar Translation Methodと訳読の違い
Grammar Translation Methodは、もともとヨーロッパでラテン語を学ぶのに用いられた方法で、文法項目ごとに並べられた例文を訳して構造を理解するというものである。この際、文章としての意味のまとまりは考慮しない。
それに対して訳読は、自然な文章の意味を理解するために訳して理解するというもので、漢文学習の「素読から会読」という流れで生まれたものであった。
海外のジャーナルなどでGrammar Translation Methodを批判したとしても、その議論をそのまま日本の訳読式に対して適用するのではなく、Grammar Translation Methodのどこが批判されているかを考えるべき。
(追記)上記の説明は『英語教育と「訳」の効用』の訳者あとがきで詳しく説明されています。


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・文化の違い
 日本語と英語では言語が異なるのはもちろん、その言語特有の考え方も異なります。日本語というハイコンテクストな言語を日常的に使う私たちにとって、ローコンテクストな性質を持つ英語を学ぶことは、普段説明しなくて済むこともいちいち説明しなければならない、という必然性を体験するという意味でも有意義です。

 対談では、今の日本の人は説明を避けている傾向にあると鳥飼先生が指摘されていました。例えば、近所の留学生のゴミ出しがルールに従っていないのを見つけたとき、「これはこうするの」と説明することなく、「ほんと、これだからガイコクジンは…」と言う人がいるとします。この人も相手の立場に寄り添って、ゴミの出し方やその留学生の何が問題かを説明すれば良いのですが、普段は「ほら、言わなくても分かるでしょ?」の文化で過ごしているからか、説明することを億劫に感じ、自分の共同体とは異なる他者に対して説明をしない傾向もあるそうです。

 しかし、自分と「異」となる存在の相手を認めて、相手と協働することができる人がグローバルな人であって、そのような人を英語教育で育てなければならないのではないでしょうか。だからこそ、日本人は面倒に感じても、相手に説明をすることを怠らないようにすべきでしょう。


■ 感想

まずはミーハーな感想ですが(笑)、英語教育でこれだけ著名な方々の講演を1日で聞けて、とても嬉しかったです。特に交流会では、自分の研究である翻訳についての話も聞いていただけて、これからも頑張らなければ!と思いました^^

 本題の「英語教育、迫り来る破綻」は、正直言って自分のような勉強中の学部生の身分で論じられることではないのかもしれません。しかし、英語教育の「目的」というものがはっきりしていないことが、議論の錯綜となる1つの原因のように感じました。確かに学校教育法第一条では「人格の完成」「国家や社会の形成者」を掲げていますが、これのみでは英語科としてのはっきりとした方向性が定まりません。現に英語教育の歴史を振り返ると、平泉・渡辺論争(『英語教育大論争』)でも今回と似た議論はされていますし、ここも目的論にまつわる話題が何回もでてきます。国としての英語教育の方向付けが「技能重視」(ティーチングとしての英語教育)に傾いており、今回の講演会では「人間性重視」(エデュケーションとしての英語教育)であると仮にとらえれば、「「英語教育史学」原論のすすめ : 英語教育史研究の現状分析と今後の展開への提言」でも論じられている議論に似たものとなると思います。分かりやすい二項対立に書き換えると、英語ができる人か、英語を用いて人間を育てるのか。個人的には両方とも大事であると述べた上で、どちらかと言えば英語で人間としての成長を促すべきだと思います(これも抽象的な言い方になっていますね笑。)

 だからこそ英語がエリートのためのものになったり、自分の学力の証拠であったりという矮小化された存在として捉えられるのは悲しいな、と感じます。

 今回東京を訪れた帰りに、高校時代の友人と話をしました。彼も「教育の改革はもっと長期的に考えるべき!」と(酒を飲みながら)言っていました。
「長期的視点」には、「目的が何か」という議論を飛ばせないように感じます。
個々の英語教師が持つ目的はもちろん、英語教育界全体としての目的は何になるのでしょうか。


 ※友人のブログでも大学入試TOEFL導入に関する記事があります。論点がはっきりしており、読みやすいと思います(^^)ぜひご覧ください。

感性と英語と教育:受験資格としてのTOEFL導入に対する疑問

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