2015年3月13日金曜日

言語の限界は、何の限界?


こんにちは、mochiです。


2015年の2月から3月初旬まで、ドイツで語学留学をしておりました。(このことは、またゆっくりどこかで書きたいと思います。本当に良い経験をすることができました。) この語学留学が終わった後、イギリスに向かって、友人の家や昔お世話になったホストファミリーの家に泊まらせて頂いております。


3月12日 (木) 、ホストマザーが勤めている小学校に訪問させていただく機会がありました。児童は移民としてイギリスへ来ている子が大多数でした。とても温かい雰囲気で楽しく過ごすことができました。


午前中はYear 5 (小学五年生相当) の英語ライティングの授業を見学させてもらい、午後は多読の活動に一緒に参加させてもらいました。まずはこの2つの授業を簡単に振り返ります。

ライティングでは、説得 (persuasion) がテーマでした。授業冒頭は、児童の提出文をスクリーンに映し出し、全体に共有するというものでした。その中で先生 (うちのホストマザー) は、There is no doubt that ... や In my opinion といった、説得に用いられる表現にフォーカスを当てていました。また、表現集に載っていない表現でも、"I like this expression." や "I was actually persuaded." といった言葉かけを通して、肯定的に評価しながら新しい表現を全体に伝えていました。

多読活動では、400 語程度の長文と発問プリントを渡され、児童たちが音読しながら読み進めていました。面白いと感じたのは、新出語句を扱わずに読み進めさせておき、分からない表現が出たら説明するという点でした。たしかに日本でも、現代文の授業では新出語句を後で扱う先生もいたような気がします。(先生によるのでしょうが…。) 日本の中高英語の授業も、もちろん生徒の既有知識の量やテクストレベルによって判断すべきでしょうが、新出語句の意味説明を後回しにしても良いのかもしれません。そうすることで、生徒は少しでも意味を当てようと文脈から推論し、結果的にテクストを繰り返し読むことになるのかもしれません。




そしてこの日の最後に、1時間ほど授業時間を頂いて、子供達の前で話をさせていただきました。最初は自己紹介や日本文化、ドイツ生活の話をしていましたが、ある男の子が「日本語を教えてくれ」というので、急遽日本語教室に。(笑)

1-10までの数字の数え方や挨拶表現、「…が好きです」、などを教えました。自分が小学校外国語活動のALTになった気分で、とにかく彼らの言いたい表現を拾いながら自己表現をしてもらいました。中には、I like snakes. と言いたいから、snakes の日本語を教えてくれという子もいました。笑

また、子どもたちの意欲にも驚きました。「私はA と言いたいから、この表現を練習するぞ」という様子が伝わってきて、「ねえねえ、『全部』って言いたいんだけど、何て言うの?」とか、「日本語には名詞の性はないの。」とたくさん質問を受けました。学習段階や学年などの違いはあるでしょうが、このような環境を日本の英語授業でも作りたいと思いました。


そろそろ下校時間になり、最後に以下の文を白板に書きました。ウィトゲンシュタインというオーストリアの哲学者の残した言葉です。

The limit of my language means the limit of my (             ).

これを書いた瞬間、子供たちが一斉に、空欄に当てはまるであろう単語を思い思いに言ってくれました。すごい勢いだったので驚きましたが、まずは隣の子と意見交換をしてもらい、そのあと発表してもらいました。最初はほんの数個だろうと思いましたが、写真にある通り、たくさんの意見がでました。




これだけの単語が出てきたのは凄いと思い、大いに褒めました。(あとでホストマザーにも同じことを伝えましたが、「そうでしょ、私が育てたんですもの。」と得意気に仰ってました。笑) 白板に私が殴り書きした言葉1つ1つに、彼らの思考の形跡や信条、想像力を垣間見ることができ、ただただ感服するばかりでした。

そのあと、あくまでウィトゲンシュタインが言った言葉を伝えるよ (the answer ではないよ) 、と言って、空欄に world を入れました。子供たちから「オーー!」という声が聞こえ、メモをしてくれた子もいました。

予め断っておくと、この言葉は論理実証主義的な前期ウィトゲンシュタインおn著作、『論理哲学論考』で言われたもので、写像理論を厳密に当てはめた結果導き出される命題なのですが、このような背景はバッサリ切って、単純に言葉について少し考えてもらいたかったためにこのような活動をしました。

授業の最後にこの活動を持ってきたのは、英語を第二言語として学んでいる彼らに、「なんで英語を学ぶんだろう」という点について再考してもらいたかったからで、これが自分のここ数年の疑問だったからです。

個人的には、言語を学ぶ理由というのは、the limit of my language means the limit of my worldという表現に、(比喩的・象徴的に) 集約されているように思えます。さらに子どもたちの意見を読みながら、改めて自分なりにいくつか考えたことがあります。以下、現段階の自分の思考の整理です。

(1) 経験世界の拡張
言葉を学ぶことで、自分の経験世界が拡張されます。換言すれば、英語を使えれば、本来経験できなかったかもしれないこと (旅行、留学、交友関係、就職、知識獲得、…) を実際に経験できるようになります。これはドイツ語や中国語のように他の外国語でも言えますし、もちろん母語でも言えることと思います。これを経済の論理から見れば「英語力のアップによって賃金が増える」と記述することもでき、批判学の文脈では「エンパワーメント」と呼ばれるのかもしれませんが、結局のところは同じことを言っていて、自分が (actual にも possible にも) 経験する世界を広げるために言語を学んでいるのではないでしょうか。
子どもたちの表現では、adventures や possibility などが当てはまるでしょうか。


(2) 思考メディアの蓄積
言葉を我々の思考メディアとして位置づければ、より多くの言葉を知ることで思考自体に広がりが生まれると言えないでしょうか。乱暴な議論ですが、単語を要素とし、その結果生まれる思考が連関だとすれば、単語が1,2,3…と増えることによって、その組み合わせとして生まれる思考は、単語数の乗数として増加するのではないでしょうか。
ある男の子が imagination という単語を空欄に入れてくれたのをきっかけにこの点は考えました。(imagination には、言語化されていない感性段階の思念も含まれている気はしますが、この子の意見はただただ面白く聞き入りました。)


(3) 自己の変容
最近の自分の関心でもありますが、言語を学ぶことで自己が変容するのではないかという気がします。これは自分の経験でもそうですし、周りの友人の中にも外国語を使っている時に母語を使っている時と性格が違って見えることがあります。応用言語学の議論としては、Kramsch の the Multilingual Subject が興味深く、今後読み進めて行きたいと思っています。
これも、男の子が The limit of my language means the limit of my souls. と言ってくれたときにふと思ったことで、私たちは言語を理性レベルで学んでいますが、結局のところは感性や自己 (無意識) 段階にもなにかしら変容をもたらしているのかもしれませんね。


やはり子どもの力は侮ってはいけないし、彼らから学ぶものを見落とさないようにせねば、と改めて強く感じました。

このような素晴らしい経験をさせてもらい、幸せだなと実感しました。

帰国後は実験や分析、共同研究の相談などありますが、2ヶ月もサボった分頑張ろうと思います。笑

2 件のコメント:

  1. おかえんなさーい
    お手紙ありがとーちゃーんと届いてました!
    ドイツもイギリスも行きたいわあ
    イギリスでは貴重な経験したんやなあ
    またお話聞かせてー!!!

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  2. ありがとう。
    モモを見つけることはできなかったけれど、素敵な人たちに会うことはできました。うまく踊れたかは分からないけれど、まだ足をとめないでステップを踏み続けようと思います。もしかしたらこれからが踊りをやめたくなる時かもしれないけれど、周りが感心するくらい上手に踊れれば良いです。
    そっちも授業多いだろうけれど、頑張って!また会おう(^ ^)

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