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2014年10月29日水曜日

第11回質的心理学会に参加して

 2014年10月18日~20日に松山大学で開催された「第11回質的心理学会」に参加した。松山の温かな雰囲気に癒されるのと同時に、学会では普段質的分析をしていて感じるもやもやが溶ける思いがした。刺激的な発表が多く、当日に購入したB5ノート30枚をすべて使い切る程メモを取った。
以下に記すのは、学会で発表された内容や議論になった点で、特に私が重要と思った点である。ここに記される以上、私の興味・関心に応じたもののみ選択されている点をご容赦願いたい(と同時に、私という語り手の視点が中立になりえない事実こそ、学会で学んだことである)。


【1.質的研究とは】


 質的研究を行う際大事なのは、現場で起きていることを尊重する態度であろう。この点については学会中に何度も実感した。本章は、詳しい方法論や分析時のポイントを紹介する前に、現場優位の原則とアートとしての質的研究の特徴をまとめる。


■ 現場優位の原則

1. 既存の枠組みを括弧に入れて、事象そのものへ

 質的心理学の概説書には現象学というページが設けられていることが多い。現象学は「事象そのものへ」というように、既存の理論や枠組みをいったん括弧に括って現象に着目することで、既存の枠組みや理論で説明できないことを扱う。もちろん先行研究のレビューや「巨人の肩に立つ」姿勢も、研究コミュニティ中に自分の研究を位置づけるために必要な手順である。しかし、既存の枠組みは同時に先入見を与える。先入見は、現象を観察する以前に持っている枠組みのことで、時に現象と観察者の間の靄 (もや) の役割をする。オーストリアの哲学者であるフッサールは、そのような先入見をいったん括弧に括り (epoche) 、起きている現象をなるべく忠実に観察する必要性を説いた。

同様に質的研究でも、「これまでこのような理論が提唱されているから」とか「先行研究では・・・・・・といわれているから」という枠組みは(もちろん重要だが)いったん括弧に括り、現象(多くの場合はデータ)を観察して丁寧に記述することが求められる。

2. 分析手法は現象が教えてくれる

 私が昨年質的研究に関する勉強をしていたとき、「この通りに分析すればよい」という決まった手順があまり示されておらず、途方にくれた経験がある。これについて、西村ユミ先生 (首都大学東京) は、質的研究に定まった分析手順はなく、現場の特徴が分析の視点を示すと言う。もし現象の様式が会話であれば会話分析を使うだろうし、あまり理論化されていないものであれば*GTAを用いて理論生成を試みたりエスノグラフィー的な詳細記述をしたりするだろう。分析者が「今回はGTAを用いて行おう」というつもりで現場に行ってしまうと、既に先入見がついた状態で現象を見ることになってしまうかもしれない。なるべく現象を観察した後に適する分析手法を選択することが良いだろう。


■ アートとしての質的研究

 山崎浩司先生 (信州大学) は、質的研究の「技術」はどう訳すかという問題に対して、techniqueでなくartと訳すべきと主張する。technique はある程度体系化されているため、決められたとおりの手順を踏めば習得しやすい。artは芸術的なもので、一筋縄でできるようになることはない。ちょうど芸術家が決まった手順に沿って作品を作らないのと同じで、質的研究者もただ手順に沿って論文を書くのではない。何度も同じデータにぶつかりながら、徐々につかめるものであろう。

 セミナーの帰りにお話させて頂いた先生も、質的研究の勘所はすぐにつかめるものではなく、もがきながらぼんやりと見えてきたと仰っていた。分析しながら得られた感覚が、最終的に血となり肉となるまで繰り返す必要があるそうだ。


【2.実践編】

■ インタビューを「きく」こと-「きき手と語り手の協働構築物」としての語り

 インタビューを「きく」という行為は、受動的な「聞く」 (hear) であり、かつ能動的な「聴く」 (listen to) である。以下、「きき手」は「聞き手」と「聴き手」の両方を指す。
「聞く」は相手が語るのをただ黙って待つ段階である。語り手が主体であるインタビューでは、インタビュアーが話しすぎるのではなくできるだけ相手の話を引き出すことが望ましい。ここでは聞き手の姿勢が重要である。岸衛先生 (龍谷大学) は、あえて力まずに「相手の話を聞いていないように」聞く姿勢を心がけている。そのため、たまに生徒から「先生、本当に私の話聞いてる?」と言われるらしく、それくらい緩やかな空気の方が相手にとって緊張が少なくて話しやすくなることだ。

同時に、インタビュアーは能動的に「聴く」ことも求められる。相手が話すのを聴くときは能動的な意味づけを行う必要があり、例えば相手の「Aだ」という発言を「BではなくAだ」のように反対の項目をあてはめて相対化させるべきだ。たとえば、私は翻訳に関するインタビューを行った経験があるが、相手が「翻訳するときやっぱり意味が正確に伝わってるかが気になります」と言ったなら、「訳文の自然さではなく意味の正確さが気になっている」とまずは理解することができ、それによって「じゃあ訳文の自然さはどうですか」と次の質問につなげることができる。

また、インタビュアーが相手にインタビューする以上、語りに影響を与えることは無視できない。たとえばインタビュアーが使ったことばを相手が使ったり、協力者から逆に「あなたはどう思いますか」と質問されたりする。このとき、インタビュアーの言動が、協力者の考え方や答えを変えてしまうことは十分に考えられる。考え方によっては、協力者の語りに影響を与えないほうが良いといえるかもしれないが、質的心理学では語りを「きき手と語り手の協働構築物」としてとらえており、きき手は語りを共に作る担い手でもある。そのため、きき手はできるだけ影響を与えないようにするのではなく、自らの関心や知りたいことをできるだけはっきりと自覚した上でインタビューを行い、相手に与える影響も自覚しながら分析するべきである。


■ 分析のポイント

1. データは宝!ひたすら読め!

 自然科学のように条件を統一してとったデータであれば理想のデータが取れるかもしれない (憶測だが) 。しかし、人間を相手に収集したデータのとき、必ずでこぼこが見られ、完全なデータが取られることは稀であり、調査者の期待を大きく裏切るデータになることが多い。ではそのようなデータは分析する価値がないのだろうか。

 波平恵美子先生 (お茶の水女子大学) はそうではないという。どのようなデータであっても、調査者の関心(テーマ)に沿っている限り、価値があるものである。その場合は、ひたすら読むことが肝心である。前述の西村先生は、看護士から収集したインタビューデータを現象学的に分析した際は7~8回は目を通したと言うし、M-GTAセミナーの方は10回以上分析ワークシートを直してやっと完成したという方もいた。データの取り方を反省することも大事だが、協力者が時間を割いて得られたデータだからこそ、できるだけ多くを得られるように時間をかけてデータに向き合うのが重要である。

2. 語りの内容のみならず、語られ方に注目せよ。

 桜井厚先生 (立教大学) によれば、従来のライフヒストリー研究では口述のデータの信憑性は低く、主観的なものとされてきた。それに対して、ナラティヴ・ターン以降、ライフストーリー概念が浸透し、語られること (what is narrated) に着目されるようになった。それによって個人の語りにも注目されるようになってきた。

 しかし、先生によれば語られる内容のみならず、どう語られるか (how what is narrated is narrated) も着目する必要がある。たとえば言葉の使い方が特徴的なものがあれば、その人のこだわりが現れているかもしれない。あるいは語りのプロット (語る際の順番など) も、ある共同体では共有されるものがあるかもしれず、その語られ方も文脈として分析に入れることで、より豊かな分析が可能となる。他にも語る際の表情やイントネーション、沈黙の長さなども気づく限りできるだけメモすると良い。

 語り手は語ることに対して意識的になることはある。しかし、語り方にまで意識を向けることは少なく、前意識的 (無意識的) に語り方を調整していることもある。したがって、「あなたはいつも○○の話を最初にしますよね」とか「△△の話をしているとき、表情が豊かになりますね」などの分析は、本人も気づいていないこともあるらしい。(「なるほど、言われて見れば確かに!」と語り手が驚くケースも。)


■ 発表のポイント

1. 相手への説得性を最重視せよ!

 データを分析する際、どのようにデータを提示するかで迷うことが自分もある。たとえば理論化重視のM-GTAであれば生データを提示しないで概念・カテゴリーのみを提示することが多いし、エスノグラフィー的記述であれば得られたデータを提示しながら「データに語らせる」発表をするかもしれない。

 実際、私が特研の発表でGTAの発表形式に忠実に則って概念やカテゴリーのみを提示したら、聴衆から「データを出して欲しい」と言われたことがある。この時の私は、聴衆のことはあまり考えられておらず、自分のまとめたものを出すので精一杯だった。
 しかし、発表の際に重要なのは、いかに聴衆に自分の分析を提示して説得できるか、である。自分が分析した100のうち100全てを出す必要はどこにもなく、説得に最も有利な10(場合によっては5かもしれないし30かもしれない)を出せれば良い。その意味で、発表の場でどのデータを出すかについては、ある程度戦略的になっても良い。


2. 追跡可能性のある発表

 もう1つ重要なのは、追跡可能性の追求である。追跡可能性は、データ分析者が協力者からデータを収集し、分析し、発表するまでの手順を、論文の読み手が頭の中で追体験できる可能性を指す。

 質的研究の場合は、上述の通り確立した手順がないため、ある程度データを読めばカテゴリーを生成できてしまう。しかし、それが本当に納得できるカテゴリーかどうかを読者が判断するためには、分析者がそのカテゴリーを生み出すまでの流れを辿ることが保障されなければならない。たとえば、データ収集の過程 (何回に渡ってデータを収集したか、参与期間はどのくらいか) は明示すべきで、カテゴリー生成の際の手順 (分析ワークシートを作成した、コーディングの単位はどのくらいか) も読み手が知りたいであろう範囲で伝えるべきであろう。


■ メモ魔になること(おまけ)

 松山市の道後公園内の正岡子規博物館を訪れると、彼の幼少期に生んだ俳句から病床の手記まで丁寧に保存されていた。彼の友人である夏目漱石は以下のように評していたと言う。

御前の如く朝から晩まで書き続けにてはこのideaを養ふ余地なからんかと掛念仕る也。

 正岡子規はメモ魔であり、思いついたことをすぐにメモしていた。 (彼の生涯にわたる膨大なメモの一部も展示されていた。) 彼が生涯にわたってあれほど多くの作品を残すことができたのも、ひょっとしたらメモのおかげなのかもしれない。

 質的心理学会で何度も繰り返されたのは、「調査の時はメモ魔になれ」であった。M-GTAでは分析中に思いついたことは「理論的メモ欄」に全て記入をすることになっているが、分析の善し悪しは「理論的メモ欄」の分量が一つの目安になるほど重要であり、分析後半の収斂時に活かせるヒントもそこに眠っていることが多い。波平先生も「フィールドノートは常にかばんのなかに入れなさい」という発言をされており、アブダクション的思考のきっかけはメモ習慣にあるとされた。

 データ分析の糸口も分析をするために机に向かっている時だけでなく、電車に乗っている時やお風呂に入っている時など、ふとしたときにひらめくことが自分もあった。さすがに入浴中はともかく、そういった一瞬のひらめきを逃さないようにメモを取ることも重要である。

今後も質的分析を続けるにあたって、現場優位の法則やインタビューのポイントを意識したい。同時に、分析技術がすぐに体得できるものでないことを自覚して、時間をかけて練習したい。

*GTA (Grounded Theory Approach)
質的研究の方法論の1つで、個別現象をよりよく理解するための理論生成を目指す。GTAの前提として、観察可能な現象が1つひとつ具体的で限定的であることが挙げられる。ただの個別事例の記述なら意味がないように思われるが、すべての現象には構造とプロセスがあるとGTAは想定する。「普遍性」はいえなくても、「典型性」「傾向」なら示すことが可能である。GTAは、過度に誇大な理論 (grand theory) を目指すのではなく、あくまで理論に根ざした理論 (grounded theory) を目指す。 (参考:『外国語教育研究ハンドブック』)

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