質的研究に関する記事を最近更新していますが、特に本書は入門にはもってこいだと思います。以下、まとめノートです。
質的データ分析法―原理・方法・実践 | |
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■ 今日では質的研究がブームになりつつあり、誰でも質的研究ができるようになった。質的研究が始まった頃は研究者間に緊張があり研究の質を保証できていたが、今は一般化したがゆえにすぐれた質的研究を見極めるのが難しくなった。
⇒質的研究がしやすくなった分、良い質的研究をしなければならないという緊張感がなくなりつつあるのかもしれない。この時期だからこそ、質的研究をする私たちには改めて研究作法を丁寧に学ぶことが求められるのだろう。
■ 「いま日本では質的研究のクオリティを問うべき時期にさしかかってきている」 (p.4)
■ 「分厚い記述 (thick description)」は、フィールドノーツの詳細な記述を通して現地社会の人々の行為の意味を明らかにすることや、丹念で地道な研究や実践にもとづいたていねいな記述を指す。
■ その一方で、「お手軽な (雑な) 記述 (quick description) 」が増えてきてしまっている。大きく分けて以下の7パターンに分けられる。
① 読書感想文
② ご都合主義的引用型
③ キーワード偏重型
④ 要因関連図型
⑤ ディテール偏重型
⑥ 引用過多型
⑦ 自己主張型
■ 分厚い記述は、「WHAT」「HOW」だけでなく、「WHY」も扱うべき。
分厚い記述というものは、本来、ある物事や出来事が「どのようなものであるか」「どうなってるか」という、主として記述に関わる問いに対する答えだけでなく、「なぜ、そうなっているのか」という、説明に関わる問いに対してきちんとした答えを提供しようとするものである (p.13)
■ 質的研究と量的研究は敵ではなく、お互いを補う役割がある。お互い根本的に性質が異なるため、その扱い方に気をつけるべき。
⇒質的研究と量的研究には、共約不可能性があるため、お互いが分かり合うことはできないかもしれない。しかし、それでも「科学」という共通の土台に立つことで、両者を組み合わせることはできるかもしれない。詳しくは、「竹内・水元 (2012) 『外国語教育研究ハンドブック』の「第IV部:質的研究」該当部分のみまとめたお勉強ノート」をご覧ください。
■ 質的研究は特に、量的データには還元しつくせない、人々の語りや発話の「意味」を明らかにしていくことを目指す。
■ 質的データ(定性データ)は、以下の特徴がある。
(1) 最も本質的な部分が数値で表現されていない (p.18)
(2) 最も本質的な情報というのが、私たち自身が現実社会の生活から読み取り、感じ取っている豊かな意味の世界に関わるものである (p.18)
■ 文字テキストデータは、個人的あるいは社会的な意味の世界を明らかにしていこうとする時に重要である。非言語情報(ビデオや沈黙など)も扱うことはできるが、一度はそれらを言葉に直すことも必要である。
■ 文化の翻訳として質的データを分析し、報告すべきである。
質的データに含まれる意味内容をその豊かさをできるだけ損なわないようにしながら解釈していく作業と、文学作品を翻訳していく作業とのあいだには、多くの共通点がある (p.23)
cf) 『翻訳理論の探求』には、以下のような説明がある。
民俗学者は、遠隔の文化を記述する...時、実際にはその文化を自らの専門用語に翻訳している...。民族誌学者は、根源的な文化の差異 (その場合、記述や理解は不可能) や、完璧な同一性 (その場合、記述は不要) を想定できない。しかし、この両極の間で、「翻訳」ということばが何かを物語ることは可能だろう。 (ピム, 2011, pp.254-255)
質的研究者にとって、研究協力者は「他者」であり、自分とコンテクストを共有していない「ズレ」の部分があるはずである。その「ズレ」の部分をいかに翻訳するかが、翻訳者=質的研究者の腕の見せ所なのかもしれない。
■ 翻訳同様、質的データ分析には「文脈」の考慮が必要不可欠である。
(例) ある人物の特定時点における語りの一節・一語
特定人物の特定時点における行動
特定人物の複数時点での行動の内容
特定人物の複数時点での語りの内容
複数の人物の行動の内容
複数の人物の語りの内容
複数の人物から構成される集団や組織の状況
■ 生のデータと理論を行き来することで意味を理解して伝えられる。
⇒ただし、これらはすぐにできるわけではない。質的研究は、中間的なレポートを定期的に作成することが非常に重要である。少ない情報であっても文章化しながら、欠けてしまった要素はないか、曲げられた意味はないか、という点を批判的に検討し、再度データ収集・分析にあたり、欠点を克服(乗り越え)して成長していくのだろう。
■ 質的研究者はよい翻訳者であるべき。
すぐれた翻訳者は、単にある言語に属する語や文を別の言語の語や文に置き換えていくだけでなく、2つの言語のあいだを頻繁に行き来しながら、作品全体の内容と作品にこめられたメッセージを深い共感と理解にもとづいて別の文脈へと移し変えていく。それと同じように、すぐれた質的研究者は、当事者たちの世界を一方に置き、研究者コミュニティの世界を他方において、そのあいだを媒介する翻訳者ないし「バイリンガル」としての役割を果たしていくのである。 (p.33)
■ 「コード」とは、「それぞれの部分が含む内容を示す一種の小見出しのようなものをつけていく作業」 (p.34) 、あるいは「「現場の言葉」の一つひとつの意味を理解し、また、原文の意味や文脈を理解した上で、それを理論の言葉に置き換えていき、さらに、いくつかの基本的なテーマを浮き彫りにしていく上での貴重な道しるべを提供している」 (p.37) といえる。
■ コードをつけていくと、さらに抽象度の高い「概念的カテゴリー」へとまとめあげられる。
■ 定性的コーディングの場合は、文字テクストからコードへ、またコードから文字テクストへと行き来することが必要である。
■ 脱文脈化とは、テクストから特定の部分を切り取って抜き出すことをいう。脱文脈化したテクスト(セグメント)には、必ず「出所の提示」が必要である。さもなければ、セグメントから生のテクストに戻ることが難しくなってしまう。
⇒本書で紹介される「事例ーコードマトリックス」も、ある意味セグメントかもしれない。このセグメントは文脈や状況から研究者が距離をとってデータを見るのに便利である。しかし、
■ データ分析における単位は、セグメントである。
データ分析における基本的な意味の単位になるのは、あくまでのセグメントそれ自体なのである。 (p.48)
⇒卒論のときに分析単位で困っていたが、セグメントは自分がコード化したものがそのままセグメントとなる。だから、コード化のときにすでに単位は決まっていると考えれば良い。
ちなみに、ストラウス・コービン派のグラウンデッド・セオリー・アプローチでは、初学者は行ごとに分析を行うことが推奨されている。
■ 再文脈化は2段階ある。第一はデータベース化であり、第二はストーリー化である。データベース化はセグメントの形で切り取って分類・配列することであり、ストーリー化はセグメントを取捨選択しながら報告書の形にまとめあげることである。
⇒論文も結局はストーリーであることが求められる。ストーリーであるがゆえに、研究者の分析結果が完全に報告できるとは限らない。(この点については、『物語と共約幻想』という本で詳しく記述されています。つい本日届いたばかりの本なので、まだレビュー記事は書くことはしませんが、いずれまとめられればと思います。)
物語りと共約幻想: 質的心理学フォーラム選書 2 | |
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