毎週木曜日5コマに、「探究勉強会」を開いています。これは、英語教育と初等言語教育(国語・外国語活動)の有志で企画しているもので、お互いの関心のあるテーマをできるだけ他者に分かりやすくプレゼンテーションしながら、討議を行うというものです。
これまでは、ユング心理学、翻訳、社会学(道徳性)、日本文化と西洋文化の比較、といったまじめなものも行ってきましたが、旅行や映画といった趣味の話もあり、個人的にはとてもリラックスして参加できる勉強会として楽しませてもらっています。しかも討議も各々の視点が独特なため、毎回時間が足りなくなるほど盛り上がります。(個人的には1週間の中でも癒してきな存在かつ知的刺激を受ける場なので、本当に充実していると思います。)
そんな探究勉強会ですが、もともとはやまだようこ先生の『喪失の語り』という本の輪読と討議をベースにした読書会を行っていました。以前からまとめようと思っていたのですが、質的研究の勉強をするにつれて、改めてやまだようこ先生のご姿勢から多くを学ぶべきと思い、今回は『喪失の語り』からナラティヴ研究、質的研究、などに関わる点を中心に、それと本書のテーマである「喪失」について、簡単なまとめをさせていただきます。
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なお、本記事は勉強会で使用したまとめノートやレジュメを基にしております。討議では自分のレジュメの記述について質問や批判をしてくれた友人たちのおかげで改良することができました。ここに感謝申し上げます。
■「語る」ことと「喪失する」こと
経験をことばで語ることはとうていできない。不可能といってもよいかもしれない。流れ去っていく川の水を小さな手で掬い取ろうとしても大部分がこぼれてしまう。掬った水をバケツに入れても、すぐに死んで濁ってしまうから、さらさらと流れていた川の水とは似ても似つかぬものになってしまう。 (p.14)
語ることは、それ自体が「喪失」を経験することである。 (p.15)
ことばが人と人とのコミュニケーションの道具であることは確かである。しかし、ことばで伝えられないものもそれ以上に大きい。…はじめから語ることの不可能性や喪失を自覚しているといったほうがいいかもしれない。 (p.15)
語りという行為にはそもそも喪失がつきまとう。それは、頭の中で考えていることすべてをことばによって表すことができなからである。たとえば、自分がなにか文学を読んでその解釈を伝えるときも、自分がイメージをしたことをそのまま相手に伝えられれば良いのだが、実際にはそううまくはいかず、ことばにすれば自分のイメージは変ってしまう。
あるいは、現在修士論文の一環でインタビュー調査を行っているが、インタビュー協力者が頭の中で考えていることすべてがインタビューデータに反映されているとは到底思えない。もちろんインタビュアーとしての自分の力量のなさもらうのだが、頭の中で考えたことをことばにするときは、やはりどこか抜け落ちてしまうものがあるように思える。(だからこそ文字データを見ながらとことん解釈したりフォローアップインタビューを行ったりする必要があるのだが。)
■物語
物語とは、「(私たちが)経験に意味を付与する様式」なのである。 (p.51)
ブルーナー (Bruner, 1986) によれば、物語モードは、論理-実証 (パラダイム) モードとは区別される。論理-実証モードは、論理的に生み出される原則や観察可能な仮説を、観察された事実によって検証する、科学的心理学が範型としてきた様式である。 (p.51)
→割り切れる (ration) ことのみを扱おうとする科学に対して、割り切れない (irrational) ことをも扱おうとする物語。物語で重要なのは「その出来事をどのように認識しどのように感じ意味づけるかが問題である (p.52) 」ため、ある意味全てのことが研究対象となりうる。現に、「喪失」について量的統計をとる調査もあるが、個々人のもつ複雑な感情や背景情報を汲み取ろうとすれば、必然的にインタビュー調査となり、協力者の語りを頼りにするのではないだろうか。
・物語の3要素 (p.54)
他の人を「私 (たち) 」にかかわらせる行為 (engagement)
私の世界に巻き込む行為 (involvement)
コミュニケーションによる共同行為 (joint action)
→物語によってカタルシスの解放という効果もあるだろう。つまり、語る主体が変容する。しかし、それだけではなく聴く主体も変容されるのかもしれない。
■語りの生成力-他者のことばを自分のことばで語りなおす
このように時間をへて、「もう一度、想い出す」行為は大変重要で、他者のことばを「腹話」して自分の声で「語りなおす」行為になっている。「腹話」とは、バフチン (Bakhtin, 1981) の「言語のなかの言葉は、なかば他者の言葉である」という考えを拡張したワーチ (Wertsch, 1991) の概念で、他者の言葉を対話的に自己の内に響かせて自分の声に変えていくプロセスをさす。 (p.58)
⇒翻訳で行うこともこれに近いのではないか。他者 (原典、起点テキスト) のことばを自分の声 (目標テキスト) で語りなおす行為こそ翻訳である。
⇒(追記)最近、学習塾でのバイトで、高校生には「受験訳」と「要するに訳」の2つを書かせるようにしている。つまり、受験問題として正解をもらえる正確・原典忠実な訳(受験訳)はもちろん作成できるようになってほしいが、それ以上に英文が言っていることを自分の言葉で、簡単で短くて良いので言い換える(要するに訳)力をつけたい。これによって、学習者が自らの腑に落ちる日本語を用いて英文内容を表出したり、日常経験などとつなげて理解したりすることを期待している 。
■喪失はマイナスの経験としてのみならず、成熟をもたらすプラスの経験としても機能しうる。
従来の心理学 (フロイト、ボウルビィ、パークス、キュブラー・ロスら) では喪失をマイナスの経験としてみなすパラダイムの下にあったといえる。そこでは、喪失を喪の作業によって受容し、回復することが主眼とされた。
しかし、喪失は、常にマイナスの経験だろうか。確かに「二人称的死」は、劇的な喪失体験であり、人生に危機をもたらす出来事 (life event) である。だが、生涯発達的にみれば危機は、生の意味が問われ、生活が再構造化され、人生を変容させ、成熟をもたらす発達の契機にもなるのではないだろうか。 (p.81)
読書会でも話題となったが、喪失からわたしたちは学ぶことができる。大切な人を亡くしたり、友人が自分のコミュニティからいなくなったりしたとき、私たちは心にぽっかりと穴があいたと感じる。しかし、その穴を埋めようとしたり、穴のおかげで今あるものの大切さに気づいたり、喪失によって私たちは新たな何かを得ることも経験的に理解しているのではないか。換言するなら、「教育機能」(p. 106) が喪失体験にはある。
■ 時間による喪失への対処
私たちは日常、「時間が癒してくれる」「時間をおく」「ねかせておく」という言葉で、喪失に現実的に対処している。しかし、ここで「時間」といわれている中身は何だろうか。ただ単に物理的時間が過ぎていけばよいということではないだろう。時間をおくことによって、心理的に何が起こるのかを見ていかなければならない。森 (1978) がいうように、「経験」は、刻々の「体験」とは区別される。経験とは、時間のなかでの結晶化作業、時間を経て自分の中で出来事を再構成する作業である。 (p. 83)
時が熟すことで、私たちは喪失から回復し、さらに新しいなにかを生成する。だから、心に傷を抱えた時も、心療医は特効薬を処方することはない。むしろその人の語りに耳を傾け、時間と共に当人が頭の中で整理をしたり、無意識が喪失を乗り越えたりするのを待つだけなのかもしれない。
ただ、時間が過ぎるのを待つだけでは乗り越えられないかもしれない。多くの人は、通過儀礼としての喪の作業を行うだろう。著者は以下の2つに分類している。
(1) 「象徴化作用」: 「死者」の追悼や記憶を形に残す、過去の愛着を残す、「内化」、「意味化」
(2) 「移行のための緩衝作用」 : 「生者」が危機的事態から抜け出す、離脱、「回復」「適応」
たとえば、ハリーポッター「死の秘宝」で、ハリー一行がベラ (敵) のもとから抜け出す際にドビーが死んでしまったとき、ハリーは「魔法の力ではなく、自分の手で埋葬したい」と語り出す。このときの彼の喪の作業には象徴化作用が強いのかもしれない。あるいは、生きている者が危機的事態から抜け出すために亡くなった人との思い出に関する品物を捨てたり壊したりするかもしれないが、それは(2) の移行の為の干渉作用に入るだろう。
■ 質的研究で重要と思われる視点のまとめ
・語りのデータは、生で語られたもののみならず、文学などの作品も含まれる。両者は相補的に活用される。
人生と深く切り結んで、ぎりぎりの表現に結晶する芸術は、日常生活ではいいかげんに妥協してしまう感情表現をとことん形にして見せてくれる。研究者と芸術家は表現方法としては極限の際に立つが、「とことん形にする」メビウスの輪で結ばれている。 (p.147)
・ナラティブ研究では誰が語るか、という点だけではなく、「誰が聴くか」という部分が重要ではないか。あるデータも数多の解釈方法があるわけで、語りに沿って丁寧に分析をすることでさらに深い考察へ進む。
・データの選定が恣意的にならず個人差があまり出ないように、組織的事例選択をする必要がある。また、データが典型性・代表性をもつ事例が好ましい。 (p.158)
※ 組織的事例選択:同一人物の複数の状況を複数名分データ収集し、比較検討しやすい形で分析できるようになる。 (p.156 参照)
・研究者の視点や解釈を取り入れた分析および仮説
① 研究者が単に外側からの分析におわらず、語り手の心理の内側に入り込んで推測を含んだ心理状況を分析すること。
② 語り手の内側に入り込んだ分析を、同じ記述言語で表現することによる、トートロジーや検証・再現困難性
③ 一つの仮説の中に「事実」と「解釈」「考察」を混合して入れたり、複数の意味を含んだ長い仮説を提示する問題。 (pp.159-160)
・先行研究からの発展 (仮説の検証・修正を基に生成継承的に発展)
① 新テクストによる事例の追加と仮説検証
② 修正仮説の提示
③ 修正仮説による先行テクスト事例の検討 (p.154)
→既に先行研究によって提出された仮説に関して、後続の研究者は別の事例を用いて仮説検証を行う。すると、新たなテクストでは先行研究の仮説を修正する必要があるだろう。その際は仮説を修正し、修正仮説を用いて先行研究で出されたテクストを再分析する。これにより。先行研究の仮説が継承されつつ新たなものを生成する、という生成継承性がはっきりと研究方法自体に現れるようになる。
⇒特に③の段階は忘れてしまいがちだが重要であろう。 (個別事例にのみ当てはまるという批判に耐えるためにも、質的研究ではこのような手順を取るのが好ましいかもしれない。)
(参考記事)千住淳(2013)『社会脳とは何か』新潮新書
データ分析をしながら、改めて質的研究の所作が身についていないと実感します。最近、佐藤郁哉先生の以下のご著書を用いて勉強しなおしていますが、とても分かりやすくまとめられています。(また時間ができれば、この本もまとめを載せたいと思います。)
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さて、そろそろ研究に戻りましょう。(笑)
教採を受けられる方は頑張ってください~。
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