今週は学部の後輩への進路説明会やフリースクールでの英語講座、サークルでお世話になっている学園の文化祭など、イベントがたくさんありました。文化祭ではダンスに参加させてもらいましたが、若々しい後輩たちと同じステージに立ったということで、次の日は筋肉痛に悩まされました。やはり年はとっていくもののようで・・・。
さて、今回の章は言語教育と訳に関するもので、訳反対派と賛成派の両方から言語教育における訳の役割を考察していきます。
※ 本章で用いられているtranslationは「翻訳」までいかない「訳」程度なのかもしれません。Houseは本書ではtranslationの定義をJakobsonのintralingual translationを用いているため、厳密に翻訳と訳の区別を行っておらず、以下に示すのは「訳の教育学的使用」であって、「翻訳の教育学的使用」とまでとらえないほうが良いと思われます。
本記事はJuliane Houseの"Translation"のまとめ記事です。
他のChapterについては、以下の記事をご覧ください。
Juliane House(2009) "Translation"(Oxford)を読む(1): 翻訳概論
等価と翻訳可能性: Juliane House(2009) "Translation"(Oxford)を読む(2): Chapter3
等価と翻訳可能性: Juliane House(2009) "Translation"(Oxford)を読む(2): Chapter3
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Arguments against translation(訳反対派の議論)
■ 改革運動による訳への攻撃
These uses of translation provoked fierce opposition in the latter half of the nineteenth century by members of the so-called Reform Movement, a group of language teaching theorists who advocated a less formalized and teaching. (p.60)
もともとは訳読式教授法(Grammar-Translation Methods)によってラテン語教授が行われており、日本でも変則式教授が行われておりました。しかし1850-60年頃の「改革運動(Reform Movement)」によって、書き言葉のみならず話し言葉の言語教育を進めたり、人工的文法規則の例示から意味の繋がった文章の使用へと転じたりしてきた。これにともない、訳というものも改革運動から攻撃を受けることになった。
■ 2方向の翻訳: どちらも反対されてきた。
(1) Translation into the foreign language(例:日英翻訳)
自然な言語習得が進むのが妨げられたり、不自然に母語が媒介することで外国語の使用がだめになってしまう。
(2) Translation into the mother language(例:英日翻訳)
学習者が母語を使うと干渉(interference)が起きてしまい、外国語が頭の中に入って混乱してしまう。また、語や句の意味説明の手段として日本語で説明すると、受動的な知識となってしまい、能動的には用いなくなると考えられていた。さらに、言語間に「1対1の関係(one-to-one correspondence)」があると思わせてしまう。
※ただしどちらも実証的に示されているわけではない。
■ bilingualism
二言語併用には、compound bilingualism ( 複合二カ国語併用)とcoordinate bilingualism(等位二カ国語併用)がある。前者は母語と外国語それぞれの語彙が一緒に頭の中に入っているとする立場であり、後者は別々に頭の中に入っているととらえている。
この区別に関して、以下の記述がある。
A further opposition to translation was based on the belief that it produced the ‘wrong’ kind of bilingualism: compound rather than coordinate bilingualism.(p.61)
訳を行うことで、等位二ヶ国語併用よりも複合二ヶ国語併用になってしまうと考えられ、訳はより非難を受けた。ここには "Think in English"のように、英語で考えて話すというnative-likeを理想とする考えが隠れているように思える。
Arguments for translation(訳賛成派の議論)
ここでは、先ほどとは逆に訳擁護派の意見を紹介していく。
大前提としては、先ほどと異なりcoordinate bilingualismを良しとしている。
■ 言語学習はバイリンガル化
If the foreign language is viewed as co-existing bilingually with the L1 in the minds of language learners, then language learning becomes a ‘bilingualization process’, i.e. a process promoting bilingualism. (p.63)
→言語学習の目標を「英語ペラペラ」とするか、「英語も日本語も」とするかによって、訳の効用は大きく変わるようである。そんな中、multilingualismやmulticultualismは、外国語学習の意義に影響を与えないだろうか。
■ 訳の効用
本文では、以下の点が挙げられています。すこし長くなりますが、それぞれに具体例や私自身の経験を当てはめながら説明していきます。
(1) 訳で言語項目の意味を説明し、正確さを高めて熟達度を高める。
たとえば「英語は英語で」に従って、ある単語の意味を英語で説明したとしましょう。 "This is a cloth usually hung by the window. You usually have this in your house. This word starts with c. Can you guess what it is?"これに対して「カーテン」と分かれば良いのですが、分からなければいつまでたってもこの単語の意味が分かりません。(curtainはカタカナでも用いられていますが...)
むしろ「curtainはカーテンのこと」と簡潔に意味を説明したほうが、効率的に意味を知ることができ、結果的に正確さが高まるのではないでしょうか。
(2) 外国語の“奇妙さ”を下げるという心理的効果。
小学校の外国語活動の授業を観察する機会がありました。児童は楽しそうに歌を歌ったりゲームをしたりしているのですが、ALT(Assistant Language Teacher)が英語で少し長めに話すと、「は?何言っとん?」「分からんし」といった反応が返ってくることもあります。
「分からない」というのは児童にとってstressfulな体験で、これが高まると「英語(外国語)は嫌だ」という気持ちにつながってしまうかもしれません。(もちろん外国語活動という領域上、相手の言っていることを分かろうとする姿勢も身に付けさせるべきなのでしょうが...)
先ほどの授業の場合は、日本人のHRT(Home Room Teacher)が「今のは...と言っていたんだよ」と一言言えば、子どもたちも安心できると思います。
現に、昨日英会話教室で小学生とネイティブの先生の授業をみていましたが、先生が"always means 100 %. Judy always plays tennis every Friday."といったとき、ほとんどの子はちんぷんかんぷんといった感じでした。しかしある女の子が「今のは、テニスを毎週金曜日に100%するって言ったんだよ」とみんなに教えました。すると他の子たちも元気を取り戻して「え、誰がテニスをしたの?」「100%するってどういうこと?」と再び授業に参加できていました。このように“たまに”訳を用いることで心理的な不安が取り除かれるのではないでしょうか。
(もちろん訳をいちいちしていたら誰も英語を聞かなくなってしまうので、タイミングが大事なのでしょうが。)
(3) 様々な言語のレベルで言語の共通点・相違点を内省する機会を多く作れるので、翻訳は言語意識をあげるきっかけとして働きうる。
Translation can act as a trigger for raising awareness of language because it creates many opportunities for reflection on contrasts and similarities between languages at various linguistic levels. (p.64)
翻訳をすることで言語意識があがるのではないかという論点です。以下の点については、「等価と翻訳可能性: Juliane House(2009) "Translation"(Oxford)を読む(2): Chapter3」で述べております。
The very limits of translatability can draw attention to linguistic contrasts and similarities, and to the context- and culture-dependent nature of meaning. (p.64)
そういえば前回の記事を書いて以来、フリースクールのボランティアや英会話教室などで翻訳タスクをたまに行っています。そこで以前紹介した " You have written "skill" with a "c" again, instead of a "k""を訳させてみるのですが
、十人十色の解答がでてきてとても面白く思っております。ただ、英文自体が理解できないと翻訳のしようもないので、難易度の統制は必要だと実感しております。(先ほどの文では、instead of やagainが正しく意味が分かっていないと、訳しようもないですね。)
(4) 異文化間理解を促進する。
たとえば、"Don't Sleep, There Are Snakes"という文はどう訳すのでしょうか。「寝るな、ヘビがいるぞ」でしょうか。
実はこれはアマゾンのジャングルに住む人々が使うピダハンという言語では夜の別れのあいさつとして用いられるそうです。(重訳なのであまりよくないのですが...)
つまり、先ほどの"Don't Sleep, There Are Snakes"は、日本語に相当するのは「おやすみなさい」なわけです。文字通りの意味とは異なりますが、語用論的、文化的にはこちらが等価となります。
この翻訳体験をすれば、アマゾンに住む人々の生活を想像したり他の国の別れのあいさつに興味を持ったりすることができます。英語科教育では異文化理解、国際理解学習も大切とすれば、翻訳もその一助となるのかもしれません。
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(5) 翻訳活動 (translation activities) に用いられる。
最後はより具体的な活動例です。翻訳活動は、翻訳自体を1つのスキルとして、実生活で翻訳をする場面を想定して活動を行うものです。たとえば海外の友人から手紙が届いた。その手紙の内容を自分は理解できる。しかし5歳下の妹はそれを理解できない。そこで、あなたは妹のために翻訳することになりました。...
このような翻訳は実際に行う機会もあるのではないでしょうか。自分も大学に入ってからイギリスのホストファミリーから受け取った手紙を、母親のために翻訳した覚えがあります。こう考えると、翻訳も決してnon-communicativeとは言いがたい気がしますね。
ただ、いつまでも翻訳活動のみをしていても、英語運用能力が上がるかは怪しいので、コミュニケーション重視のカリキュラムに翻訳を「少しだけ」取り入れるのが現実的なのかもしれませんね。
なお、訳と言語教育についてはいくつか関連記事もあるので、興味があればぜひご覧ください。
・菅原克也(2011)『英語と日本語のあいだ』(講談社現代新書):授業での使用言語は?
・山岡洋一(2001)『翻訳とは何かー職業としての翻訳』日外アソシエーツ
また、先月出された本書にも訳と言語教育に関するページがありましたので、興味のある方はお読みください。抄訳本ですが、日本の言語教育という枠組みで語られているので、Guy Cookらの本と合わせて読むと良いのではないでしょうか。
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