こんにちは。初めて当ブログにお越し頂いた方も多いと思いますので、簡単に自己紹介をさせて頂きます。mochiです。大学で英語教育を専攻しています。将来中高英語教員となることを夢見ており、現在は翻訳学(特に翻訳推敲)をテーマにした卒業研究を行っています。
みんなで書けば怖くない!は去年までは、先生方が書かれる記事を読んで楽しむ側でしたが、今年は自分のブログを作ったことと、最近参加した組田先生の講演会で同じようなことを考えていたことをきっかけに、参加することに。
英語教育に携わる多くの方が同じテーマで書かれるということなので、「学部生で、日頃から思考を働かせない若造がこんなことを書いているぞ(笑)」「それに対して、やはり現場の先生方の文章は素晴らしいな」という、比較材料として読んで頂ければ幸いです笑。正直、自分自身も他の方々の文章を読ませていただくのがとても楽しみです。
そういう意味では、今回は未完成でも自分なりの答えを示せればよいかなと開き直って、ある意味気楽に書いております。
今回のお題は、以下の通りです。
「生徒に、『なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?』と訊かれたら、何と答えますか」
実は以前に、これと非常に関連した文章を書いたことがあります。(「藤本一勇(2009)「外国語学」ーなぜ外国語を学ぶかー」)しかし、その記事を書いてから半年近くが経ち、ある程度自分の考えも変わってきていると思い、再度同じテーマで書くことにしました。したがって、興味をお持ちの方は以前の文章もお読み頂ければ幸いです。
(だらだらと書いてしまったので、お時間のない方は「4.結論」のみお読みください。)
1. 英語教育目的論と英語学習目的論
この質問は英語教育の目的論にも関わる質問だと思います。ただ、「目的論」というカッコイイ言葉では、なんとなく分かった気になって満足してしまいそうなので、目的論をさらに細分化して、以下のような図に示しました。
英語教育に関わる目的論を、(1)「制度としての英語教育目的」(2)「教師としての英語教育目的」(3)「学習者としての英語学習目的」に分けました。それぞれの概要と、お題の生徒の質問への解答として有効かどうかを以下に示します。
(1)「制度としての英語教育目的」は、教育基本法や学習指導要領の文言がそのまま当てはまります。(たとえば「人格の形成」であったり、「コミュニケーション能力の育成」であったり・・・。)また、このような超越的な目的論は、英語教育史上で何度も議論されてきました。岡倉由三郎は「英語教育」で実用面と教養面に分けて論じており、「英語教育大論争」では平泉・渡辺がエリートのためか一般の知的教養面かと議論しました。このような面もきちんと考慮すれば、先ほどの生徒の質問にも答えることができるかもしれません。しかし、本稿では長くなるのでこの部分に立ち入ることはしません。(というか、自分がきちんと理解していない・・・w。)
(2)「教師としての英語教育目的」は、一教師として「なんのために自分は目の前の生徒に英語を教えているか」の答えです。以前、組田幸一郎先生が大学にいらっしゃって、講演をして下さいました。そこで、「英語教師哲学」という言葉が繰り返し出てきました。つまり、英語教師は「なぜ自分が英語を教えてるか」に対する答えを考えるべきということです。あくまでも(1)の制度としての目的は頭に入れた上で、自分なりの教える理由というものもぜひ教師としては持ちたいものです。この意味での目的は、先ほどの生徒の質問への解答と共通している部分も大きいと思われ、有効だと思います。
(3)「学習者としての英語学習目的」は、一人ひとりの学習者が自分なりに持っている英語を学ぶ理由です。上の2つは「教える」目的だったので教育者側が主体だったのですが、ここでは学習者自らが持つべき目的と言えます。ここで重要なのは、教育目的と学習目的が必ず一致するわけではないということで、別に全ての生徒たちが「コミュニケーション能力」とか「人格の形成」など意識していることは考えにくいです。一人ひとりがそれなりに納得できる英語を学ぶ意義が見出せるのが理想だと思います。
しかし、このような概念整理をしているだけでは、生徒を煙に巻いているにすぎません。そこで、自分なりの「教師としての英語教育目的」と「学習者としての英語学習目的」を1つずつ紹介することによって、生徒の質問への答えとしたいと思います。
2. 教師としての英語教育目的:自己変容
今年の4月に購入した『外国語学』が、自分なりの現在の考え方に最も近いように思えます。その中でも特に印象に残っている節を引用します。
外国語学 (ヒューマニティーズ) | |
藤本 一勇 岩波書店 2009-11-27 売り上げランキング : 633462 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
外国語を学ぶことの効用は、まずは、新しい言語を習得することによって、新しい「メガネ」、新しい者の見方、新しい意味世界を獲得できることだろう。私たちの認識は、さらには感性さえもが、言語の表象システムによって知らぬ間に構築されている。「人格」さえ、言語に大きく規定されているかもしれない。(p.39)
私は小学生の頃から視力が低く(両目ともC)、あまりよく見えませんでした。しかし眼鏡をかけるのが嫌で裸眼で生活していました。ところが受験勉強の時に「そろそろ眼鏡がないと」と思って眼鏡屋へ行き、初めて眼鏡をかけたときは感動でした。(眼鏡を買ったことがある方なら経験があると思います。)看板の文字とか学校の廊下の壁の色とか、今まで生きてきたはずの世界の景色が変わったようでした。
私は英語の勉強もこれと同じような効果があるのではないかと思います。小学六年生までの12年間をほぼ日本語のみで生活してきた子たちは知らず知らずのうちに日本語というメガネをかけてきたわけです。しかし、英語との出会いによって新しいメガネが使えるようになります。
眼鏡をかけてこれまで見えなかったものが見えるようになったり、今まで「こういう見方」と思い込んでいたものが別の見方ができるように、英語というメガネにも世界観を変える力があるのでしょう。
言語を「替える」ことは、発想や行動を「替える」きわめて有効な手段の一つである。[...]言語を替えれば、如実に思考が変わる。まるでコンピュータのOSを切り替える場合のように。メッセージは同じ内容であっても、言語を替えてそれを表現すると印象が変わったり、さらにその内容自体が違ったものになることは、通訳や翻訳をすれば、誰もが経験することである。(p.41)
世界を見る可能性を与えると同時に制限を課すメディアである言語、これを新しく獲得しなおすことで、メガネを交換するかのごとく、一つの言語世界の拘束を離れ、新たな世界が与えられる。外国語を学び、新しいまなざしを手に入れることによって、現状を離脱した新しい「私」に変身する可能性が与えられる。(p.41)
もちろん、「英会話ができるようになれば友達が作れる」「グローバル社会では当たり前」といった実用的な理由付けも必要ですが、「英語を学ぶことによって、物事の見方が変わり、しいては自分自身も変わる」という点に、英語を教える意味を感じます。
ただ、このような点は科学的に実証するのは難しいかもしれません。「そんな抽象的なこと言ってないで、数値で出してよ」という声も聞こえてきそうですね(笑)。しかし、藤本氏の論によって、自分が英会話をしていると性格が変わる気がしたり、英語を学ぶことによって普段使っている日本語を反省的に捉えなおすことができたり、という経験にも説明がつきます。なので、それなりに妥当性は見出しています。
3. 学習者としての英語学習目的:Connect the dots
次に、自らがなぜ英語をこれまで学んできたかをまとめます。
まずは本音で言いますと、「大学受験」「いい成績をとりたい」というinstrumental motivationは確実にありました。
他にも文法は面白かったので勉強していたり、できなかったことができるようになると嬉しかったり、という様々な理由が自分の英語学習歴を振り返ると見えてきます。
しかし、どれをとっても、生徒の質問である「どうして英語を学ぶの?」に対する答えにならない気がします。「私は文法嫌いだもん」とか「別にできるようになるなら、ダンスとか楽器でもいいじゃん。英語じゃなくても・・・」と返されそうな気がします。
そこで、少し反則かもしれませんが、私は以下の動画の台詞をそのまま答えにしたいと思います。
皆さんご存知のSteve Jobs。彼のスピーチの中で以下のような文が出てきます。
"You can't connect the dots looking forward, you can only? connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future, you have to trust in something, your gut, destiny, life, karma, whatever, because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well worn path, and that will make all the difference. "
何か物事に取り組んでいるときは、その意義が見えないこともあるわけで、「英語はやっているうちに意義が見えてくるよ(だからとりあえずやろうよ)」「何十年も先に、英語をやって良かった、てきっと思えるよ」というのが、私の英語学習目的論です。
例えば今年の4月からドイツ語の勉強をはじめましたが、最初はドイツ語って翻訳学でもでてくるだろうしやっとくか、という軽い気持ちでした。ところが「ドイツ語は教育学でも多く出てくる」とか「西洋哲学の文献はドイツ語が多い」といったことに最近になって気づいています。(遅っ!)このように、最初から「僕は~~のためにドイツ語をやるんだ!」とはっきり規定できなくても、後でやっていて良かった、と思えるのではないでしょうか。
4. 結論:生徒に対する答え
長々と書いてしまったので、最後に生徒へどのような答えをするかを書いておきます。
英語はなんで勉強するか?とても面白い質問だね。
僕は、みんなの考え方が広がってくれたらいいな、と思って英語を教えている。言葉っていうのはメガネみたいなもので、いつも日本語っていうメガネで生活しているだろう。でも、新しい英語というメガネをだんだん使えるようになって、これまでできなかった物の見方や考え方が出来るようになって欲しいと思う。
それと、実は僕も英語を勉強してるときは、そんなにはっきりとした目標があったわけではなかった。でも、何年もしてから初めて「英語が使えてよかった」て思えることがたくさんあった。だから、なんで英語を勉強するかに対する答えは、やっている内にわかる、だと思うよ。
うーん、自分でも書きながら、「逃げ」の答えだな、と感じます(汗)。
ただ、今の時点ではしっくり来ているので、これを現段階の考えとしておきます。
今後、大学院で研究をし、実際に現場で教える中で、どんどん考えは更新されていくと思うので、その都度この質問に立ち返りたいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿