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2015年6月29日月曜日

「朗読とピアノの夕べ」の感想

6月26日 (金) 、尾道市なかた美術館で開催された「朗読とピアノの夕べ」に参加してきました。翻訳家の新柴田元幸先生とピアニストのトウヤマタケオさんのコンサートで、柴田先生はご自身が訳された翻訳作品の朗読をされて、それにトウヤマさんのBGMが合わさって1つの世界が出来上がり、とても迫力がありました。

私は、ピアノや朗読に耳を傾けて心が安らぐ一方で、この2時間で「朗読」の考え方が大きく変わり、また、普段読まないアメリカ文学へ親しみが湧きました。

朗読された作品は、「ヒアカムズサン」 (Monkey vol.6 に掲載) 、「謎」(イギリスとアイルランドのマスターピースに掲載)、「ウインド・アイ」、「靴紐に寄せる惜別の辞」(Monkey vol.1)でした。(本当はもう1つ、バイトリニストの話も聴いたのですが、タイトル名が思い出せませんでした。)

■ 朗読のしやすい英日翻訳

「ヒアカムズサン」は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の語り手の雰囲気に似たものが出ていて、この作品で一気にアメリカ文学の世界、あるいは柴田先生の世界へ引き込まれました。私が「朗読」と聞くと、静かな語り口でゆっくりと読み聞かせ、重要な場面で強く速く読む、というものを考えていました。ところが、柴田先生の朗読は全体的に勢いがあり、畳み掛けるように次々言葉を出していくという感じでした。私には、日本語の朗読作品を聴いているのに、あたかも英語の音を聞いているような不思議な感覚がしました。

途中に質問タイムがあったので、「先生の朗読を聴いていると、(リズムやその他の読み方が)日本語なのに英語のように聞こえる瞬間が何度かありました。」と感想を伝えたうえで、「先生の今日の朗読は勢いがあって速く読まれていたのですが、たとえば同じ作品をゆっくりと落ち着いて読む、ということはありえたのでしょうか。それとも、今日のような読み方以外考えられなかったのでしょうか。」と質問しました。

それに対して柴田先生は、「静かに読むと、皆さんが寝てしまうと大変なので(笑)」と仰った上で、「私の読み方の好みが半分ありますね」、「もう半分は、この作品には読まれ方があって、今回の作品は強く読むほうが良いと思いました」と仰っていました。(正確な引用ではありませんのでご容赦ください。)これを聞いて、ご自身が翻訳された文章を朗読するときのリズムは、もしかしたら翻訳されているときにもある程度決まっているのかもしれないなと感じました。

さらに先生のお話で興味深かったのが、「英語に比べて日本語は朗読しにくい言語だ」という言葉でした。確かに、英語がアクセント言語で強-弱のリズムがつけやすいのに対して、日本語は読んでいて切れ目が分からなくなったり、途中で意味が伝わりにくい平坦な読み方になりがちかもしれません。『翻訳夜話』ではリズムを意識した翻訳、という話が何度か出てきました。私も自分が訳した文章を声に出して読んでみると、自分の訳文が「声に出して読みにくい」(朗読しにくい)文章になっていると気付くことがしょっちゅうあります。

先生のお話を伺って、自分で訳した文章を推敲するときに、「声に出しやすさ(朗読しやすさ)」というのも観点に入れてよいかもしれないと感じました。そのために必要な場所に読点を入れたり、長い言葉遣い(長すぎる名詞句など)を避けて、切れ目を意識しながら訳したりする必要があるように思えます。


■ 作品を演出するということ―言語教育における可能性

「ウインド・アイ」は、ブライアン・エヴンソンという作家の作品で、主人公が不思議な世界を体験するものの、周りの大人には理解してもらえず、主人公の目に映った世界と他者の目に映った世界のずれというものが現前化された作品です。

ストーリーとしては一番好きな作品だったかもしれません。また、トウヤマさんのピアノと、詰まった音のギターのBGMが、ストーリーをさらに引き立てていました。この作品の書籍版を手に入れたいと思って探したのですが、未だ見つかりません。

柴田先生の朗読はこのストーリーを一段と引き立てました。それは、読むときの間の取り方、ジェスチャー、イントネーションなどが、わざとらしくあざといものではなく、全てが丁度良かったからです。今回のコンサートには、バイトでお世話になっている塾長と塾のスタッフとして勤務しているネイティヴの先生と3人でいったのですが、ネイティヴの先生(日本語もとても達者です)が帰り際に、「最初は聞きながら目をつむって、イメージしようとしたけれど、私には少し難しかった。でも、目を開けて聞いていると、先生の表情がとても豊かで、想像がしやすくなった」、”His facial expression communicated a lot."と言っていました。もしこれらが、「あざとい」と感じられるような仕掛けだったら、communicated less (worse) になっていたかもしれませんが、本当に「丁度良かった」のです。

このように、自分の好きな作品を、自分が「仲介者」(翻訳者・朗読者)として他人に伝える、というのはとても面白い経験になるかもしれません。どこでジェスチャーを入れるか、どこで沈黙を用いるか、読むときの表情はどうするか...。そしてBGMを入れるなら、ストーリーの前半部と後半部ではBGMを変えるか変えないか...。これをするには、自分が相当にそのストーリーの世界にもぐりこむ必要があるかもしれません。もしかしたら言語学習者にはこれらの作業は難しすぎるのかもしれませんが、どこかで、自分の本当に好きな作品に出会えたなら、その作品を演出するという機会が与えられても良いかもしれません。(ただし相当な時間数を使うので、プロジェクト型学習や授業後の個人指導なども検討すべきでしょうが。)


■ おまけ

最後の「靴紐に寄せる惜別の辞」という作品は最も好きでした。その理由は、「他在の存在から自己意識へに回帰する」「世界(普遍)と形態(個体)の弁証法」といったヘーゲル的解釈のせいかもしれません (笑)。それほど長い作品ではなかったので、私はこの作品の英語版を見つけて読んで、自分なりの日本語に翻訳してみたいと感じました。

Monkey という柴田先生が編集されている雑誌(翻訳+文学)のVol. 1 に載っているそうなので、ご興味のある方はお読みください。自分はVol. 3 と 6 を買って読んでいますが、相当に面白い作品だらけで、読み応えがあります。オススメです。



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MONKEY Vol.6 ◆ 音楽の聞こえる話柴田元幸

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3 件のコメント:

  1. その昔、話しコトバと書きコトバを統一する運動がありました。
    そこで、文語と口語の区別はなくなってしまった、かのように謳われました。

    しかし現代でも、話しコトバとか書きコトバという区別は残っていて、これが結構違うんだよね。
    つまり、コトバというのは、思考と切り離せない関係であるから、コトバの区別は、思考の区別だってことだ、とも思えるってことなんですけどね。

    書くときに人間がどの程度、書きコトバ思考と話しコトバ思考を使っているか、その両者のバランスって、人それぞれな感じがします。
    書いた文章を声に出して読む、とか、話しているように文章を考える、とか、両者は様々な場面で、両立しながら、機能しているんですよね。
    そのときのバランス、にすごく興味があるし、さらには、そのときのバランスによって、その人の人間を考えたり、もしてしまいます。

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  2. yureiさん、
    コメントありがとうございます。

    ことばは、たとえ話されようと書かれようと、やはりリズムってあるのかな?って思います。だから、他人の書いた文章を読んでいて「これは読みやすい」とか「なんか。意味は分かるけど読みにくいな」って思うことがあります。もしかしたら、朗読のしやすさ(リズム)っていうのは、話し言葉と書きことばの通底部分にあるのかもしれませんね。

    僕は自分の言語に無自覚だから、けっこう読みにくい文章を平気で書いてしまいます。あるいは、他人にとってはリズムが悪いと感じられることもあると思います。そこは気をつけないとなって思います。
    あと、たまに「語りかけるような文章」に出会うこともありますよね。僕もそういう文章が書けるようになりたいですね。

    話し言葉と書き言葉のバランスに人間性が見えるっていうのはすごく面白い指摘だと思いました。自分の言葉にももう少し注意してみようと思います!

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    返信
    1. mochiさん

      僕は、話しコトバと書きコトバは区別されるし、そこに価値付けは行われないと思っています。
      話しコトバ的な文章と書きコトバ的な文章はどちらが良い、というわけではなく、単純な好き、嫌い、もしくは、合う、合わないだと思っているということです。

      だから、リズムというのも、話しコトバとしてのリズムと、書きコトバとしてのリズムがあると思っています。ちょうど、文系には文の美しさが分かり、理系には数字の美しさが分かるように。それらは、別の世界の話に思うのです。

      しかし、書きコトバにも、話しコトバにも通底する部分がある、という思考は、とても希望があるし、可能性を感じますね。
      mochiさん、見つけてください笑

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