ページ

2014年9月9日火曜日

関連性理論まとめ④:encoded meaning と pragmatic inference


どうも~。mochiです。
関連性理論勉強会も第4回になりました。ここにそのまとめを掲載します。

今回は、「記号化された意味」と「語用論的な意味」を中心にまとめています。この区別については、すでにNinsora 君が「Codes and inference」や「コードモデルと解釈モデル」といった言葉でまとめてくれています(し、断然そちらの方が分かりやすいです)。よかったら、そちらも読んでみてください。




■ 単語の意味の3形態

「単語には意味がある。」この命題に疑問をお持ちの方はあまりいらっしゃらないかと存じます。

では、単語には「どのような」意味があるのでしょうか。テクストに沿って、3形態に分類したいと思います。

(1) Some words encode concepts
まずは、概念を記号化したものがあります。たとえば「チョコレート」という言葉を聞けば、私たちが持つチョコレート ( {CHOCOLATE} )という概念が想起されるのではないでしょうか。他にも、「犬」なら一般的に持つ犬の概念、「パソコン」ならパソコンの概念が浮かび上がるでしょう。このように多くの単語は、概念を記号化しています。そして、記号化されているものは、いつどこでその単語が発話されても、同じ意味を持ちます。(codes vs inference を参照)

cf) ウィトゲンシュタインの『哲学探究』の第1節で紹介されるアウグスティヌス(および前期ウィトゲンシュタイン)の言語観もこれに近いのかもしれません。要するに、一対一対応でことばと概念が結び付けられているというものです。これを写像理論といって、前期ウィトゲンシュタインの思想の中心の一つといえます。


(2) Some words ‘point to’ concepts
他にも、単語がある概念を「指し示す」に過ぎない場合もあります。これは主に代名詞や指示語が属し、たとえば「彼」という単語は「その男の人」を指し示します。このとき「男の人」という概念を記号化しているのではなく、特定の男の人を指し示していることに注意すべきです。

ちなみに英語で書くとThe male person でしょうが、この the こそまさに指し示す役割があります。英語は便利ですね。


(3) Some words are vague
これまでは記号化したり指示したりすることができる概念でしたが、意味があいまいな単語もあります。たとえば tall という単語。tall と聞けば、「背が高い」という意味だということはみなさんご存知でしょう。では、何cmから「背が高い」と言えるのでしょうか。あるいはdelicious もどのくらいおいしかったらおいしいと言えるのでしょうか。このように、これらの形容詞はスケール的(定規的)なので、はっきりと「背が高い / 背が高くない」という区別を設けることはできません。なので、単語の中にはあいまいな意味を有するものもあります。




■ 言語的に記号化された意味と語用論的解釈

上の区分に従えば、(1)は「言語的に記号化された意味」で、(2)・(3) は「語用論的解釈が必要な意味」になります。

例えば、ジョンは明日パーティーに来る?に対して、 “He is.” と答えるとしましょう。

この発話において、ジョンがパーティーに来るという意味ということは分かりますが、これは言語学的に記号化された意味ではありません。なぜなら “He is.” という発話は別の場面では別の意味を持ってしまうからです。(例: Is he a student? に対する場合でも He cannot be the culprit. に対する場合でも、 He is . という発話は可能だが、それぞれ異なる意味を持つ。)したがって、"He is." は語用論的解釈を必要とします。(He とは誰か、is の後はどのような言葉が省略されているか、など。)

The best way to investigate this is to look at specific example utterances and identify what parts of their meanings we need to work out in context. In other words, to look at what is involved in pragmatic interpretation at the same time as considering what is linguistically encoded.

この記号化された意味と語用論的意味を区別するためにも、多くの言語使用にあたり、「どこまでが記号化された意味か」を考える癖をつけると良いのかもしれません。

cf) ウィトゲンシュタインが後期に関心を持っていたことの1つに、「以下同様」という言葉の解釈がありました。(野矢 2009 『語りえぬものを語る』参照)

この場合も、「以下同様」という言葉にどれほどの意味が記号化されていて、どれくらい文脈や背景知識から推測しなければならないかを考えると、語用論的解釈の必要性が理解しやすいかもしれません。


語りえぬものを語る
語りえぬものを語る野矢 茂樹

講談社 2011-07-08
売り上げランキング : 73981


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
■ underdeterminacy thesis(ガヴァガイ問題)

ここまでくると、私たちは決して文字通りの意味のみを取っていないことに気づきます。これを言語学に持ち込んだのが underdeteminacy thesis です。

There is always a significant gap between what is linguistically encoded and what speakers actually intend by their utterances. Recognition of this gap has been termed the ‘underdeterminacy thesis’ (e.g. by Carston 2002a: 19-30) to reflect the idea that linguistically encoded meanings always significantly underdetermine intended meanings. The gap between what is encoded and the meanings we eventually arrive at is filled by pragmatics inference.

記号化された意味と聴き手が到達する意味には必ず間隙があり、それを埋めるのが語用論的推測であるということです。

言語の非決定性原理で有名なものに、クワインの「ガヴァガイ問題」があります。

Quine uses the example of the word "gavagai" uttered by a native speaker of the unknown language Arunta upon seeing a rabbit. A speaker of English could do what seems natural and translate this as "Lo, a rabbit." But other translations would be compatible with all the evidence he has: "Lo, food"; "Let's go hunting"; "There will be a storm tonight" (these natives may be superstitious); "Lo, a momentary rabbit-stage"; "Lo, an undetached rabbit-part." Some of these might become less likely – that is, become more unwieldy hypotheses – in the light of subsequent observation. Other translations can be ruled out only by querying the natives: An affirmative answer to "Is this the same gavagai as that earlier one?" rules out some possible translations. But these questions can only be asked once the linguist has mastered much of the natives' grammar and abstract vocabulary; that in turn can only be done on the basis of hypotheses derived from simpler, observation-connected bits of language; and those sentences, on their own, admit of multiple interpretations.
http://en.wikipedia.org/wiki/Indeterminacy_of_translation

私たちがある民族のもとに訪れたとしましょう。その民族のことばをまだ理解していません。そこにウサギが飛び出してきました。すると、現地の人たちは「ガヴァガイ!」と叫びます。これを聞いて、私たちはどのように意味を理解するでしょうか。多くの方は「ガヴァガイ=ウサギ」と理解するかもしれません。しかし、他にも「エサだ!」「逃げろ!」「やった!」などと多様な解釈が可能のはずです。

クワインはこの例を通して、ある単語の意味というのが決定されている(一対一になっている)のではなく、非決定的(如何様にも解釈されうる)ことを示そうとしました。私たちが日常行うコミュニケーションとは異なる場面でのガヴァガイ問題でしたが、友達や恋人が言った台詞があいまいすぎて、意味が同定できないという経験は日常にもあふれているでしょう。

そう思うと、もし単語の全てが記号化されていれば(すなわちコードモデル的な言語観であれば)、どれほど便利なのでしょうか。ミスコミュニケーションもおきませんし、情報伝達にはもってこいです。他者とも分かり合うことができるでしょう。しかし、語用論的解釈のおかげで、私たちは文学作品を楽しむことも、わざと曖昧な発言をして人間関係を維持することもできます。また、他者と分かり合えないおかげで、自己と区別を設けることができ、「私らしさ」が生まれます。人間が社会を形成して共生するためには、「分かり合えない」「誤解をする」といった機能が言語には組み込まれているのかもしれませんね。そう思うと、人間の言葉って良いですね。[だんだん感傷的になってきたので、急いで次の章へ。]

■ コミュニケーションの不思議あれこれ

最後に、コミュニケーションの不思議あれこれと題して、以下の2つの問いに対する答えを探しましょう。

(1) 私の発話はすべて私の考えか。
私が話していることなのだから、全て私の考えていることに決まっているではないか、と反論が出るかもしれません。しかし、言語には引用の機能もあるため、以下のBの発話が曖昧性を持ちます。

 A: 「タケシ、その時何て言ってた? (What did Takeshi say?)」
 B: 「お前、鼻に泥がついてるよ (You’ve got a dirt on your nose.)」

では、このBの発話は誰の考えなのでしょうか。2通りの解釈が可能です。

解釈(i) タケシがそう言った  Takeshi said to B that B had got a dirt on my nose.
解釈(ii) Bがそう言った    B said to A that A has got a dirt on A’s nose.


解釈 (ii) は確かにB自身の考えですが、(i) はTakeshiの考えを引用してBが述べています。難しいのは、これらを区別する方法が言語自体を解析するだけでは存在しないということで、これにも語用論的解釈が必要となります。



(2) 皮肉はなぜ皮肉と認識されるか。

ハリーポッターという作品には皮肉が随所にこめられているように(一読者として)感じます。特に皮肉屋さんなのはスリザリンのドラコ・マルフォイで、たとえばハグリッドが生物学の授業用教科書として指定した「怪物的な怪物の本」を見て、マルフォイは「たしかに素晴らしい教科書だよ。人を噛み付くなんてさ」といいます。(正確な引用ではありません。ご勘弁ください。)

多くの読者はこれを読んで、「出た!マルフォイの皮肉w」気づきます。しかし、どのようにして皮肉を皮肉だと認識しているのでしょうか。

関連性理論のテクストでは、ある発話が実際の発話者以外の人の発話と認識されたときに成立するとされます。

先ほどのマルフォイの例でしたら、「すばらしい教科書」の発言は明らかにマルフォイの内から発せられたものとは考えられません。おそらくハグリッドであったり、あるいはハグリッドを慕うハリー・ロン・ハーマイオニーの誰かであったり、特定はしていなくても人を噛み付く本を素晴らしいと思う人物(マルフォイはその人のことを見下すでしょうが)を想定していたり、とにかくマルフォイは先ほどの台詞を他の人のものとして発しています。だから読み手も、「これはマルフォイが他の人の立場で言っているから、皮肉なのだろう」と解釈することになります。





以上、関連性理論まとめノート第4弾でしたっ!

次回は、mochi ・ Ninsora のお互いの研究分野(翻訳論・沈黙)に関して、関連性理論を用いた論文を読んできてレビューするという予定です。これまでは関連性理論の基礎部分を扱ってきましたが、少しずつ自分たちの専門分野と関連付けて理解できればと思います。

それにしても、夏休みがあっという間にすぎていきますね。翻訳学会、探究読書会合宿、ミニ特研発表、バイトの研修など盛り沢山で正直焦りを感じていますが、社会に出ている友人たちは既に二学期が始まっているわけであまり泣き言を言ってられないですね (--;)

ご機嫌よう~。


Relevance Theory (Cambridge Textbooks in Linguistics)
Relevance Theory (Cambridge Textbooks in Linguistics)Billy Clark

Cambridge University Press 2013-07-11
売り上げランキング : 48006


Amazonで詳しく見る by G-Tools

2014年9月2日火曜日

関連性理論まとめ③

こんにちは。昨日Mochi君の家の大掃除をした結果、腰を痛めてしまったNinsoraです。
でも、たまにするハードな運動っていいもんですね。久しぶりに色んな汗をかきました!!

先日から関連性理論勉強会はBilly Clark (2013)Relevance Theory (Cambridge University Press) を読みはじめました。
Relevance Theory (Cambridge Textbooks in Linguistics)
Relevance Theory (Cambridge Textbooks in Linguistics)Billy Clark

Cambridge University Press 2013-07-11
売り上げランキング : 44189


Amazonで詳しく見る by G-Tools

今回はPart1 Overview 1. A First Outline を途中まで読みました(遅々とした進行で申し訳ありません)。
1.1 は関連性理論のoutlineoverviewということですっ飛ばして、今回は1.2からまとめたいと思います。
間違い等あればご指摘願います。
----------------------------------------------------------
1.2 Expectations and meanings: a short summary

intentional communication gives rise to expectations which help us to decide what the communicators intends to convey.

意図的なコミュニケーションが取られた場合、受け手は「発信者が何を伝えようとしているのか」を考えます。1.2では、そのときのexpectationmeaningに焦点を当てて、関連性理論で重要となる部分を簡単に説明します。

1.2.1 Creating Expectations

相手にとって関連性のある発話とは何か。
ということを考えるときには、次の例を考えると良いかも知れません。

(1) a. この文を読んではいけない。あなたには関係ない。
   b. Pay no attention to this utterance. It has no relevance to you.
   c. لا تولي اهتماما لهذا الكلام. ليس له أهمية لك.

母語が日本語の人なら、以上の3つが並んでいた時に一番初めに目に飛び込み、意味を理解するのは恐らく1aの文です。
ほとんどの日本人にとって、一番関連性が高いのは1aの発話というわけです。
しかし、日本語を勉強したことのない英語母語話者が1aを見たとしても、(日本人のほとんどが1cに対して持つであろう印象と同様に)1aは無意味な文字の羅列としか認識されないでしょう。
このように、発話の内容以前に、受け手が理解できる言語でなんらかの発話を行ってしまえば、その時点でその発話は相手にとって関連性があると言えます。
逆に言えば、同じ発話を行っても、その関連性の程度は相手によって異なるということです。
誰かとコミュニケーションを取ろうとするとき、情報の発信者は「この情報は受け手にとって関連性が高いだろう」という前提のもと発話を行いますし、聞き手としても「相手は何らかの意図があって情報を発信しているのだろう」という期待のもとその発話を受け取ります。
私たちが通常行うコミュニケーションは、このような相互の期待の下で行われます。
私たちのコミュニケーションを、以上で述べたような直感を精緻化(elaboration of intuition) させる形で理解し、また説明しようとするのが関連性理論だということです。


1.2.2 How do we know what we mean? ― 関連性理論が明らかにしようとする問い

(2) a. 私たちはどのようにして、直接的に伝えられていない意味を理解するのか。
How do we manage to understand meanings which are not directly communicated?
b. 私たちはどのようにして、発信者が直接的に伝えようとしている命題を理解するのか。
How do we work out which propositions communicators are directly communicating?
c. 私たちはなぜ時々誤解しあってしまうのか。
Why do we sometimes misunderstand each other?

例えば、売店でチョコレートを2個買おうとしたとき、おばちゃんに次のように言われたとします。

(3) They’re three for two just now.(今なら2個で3個だよ)

この発話だけを見ると、何のことを言っているのか全く分かりません。
しかし、「このおばちゃんは値段のことを言っているんだな」「チョコレートの話をしているんだな」「このおばちゃんは親切にも僕が損をしていることを教えてくれたんだな」というようなことを私たちは瞬時に理解します。
これはなぜなのでしょうか(2a)

 また、私たちは(3)の発話だけで、「セール期間中のこの店で、といってもこのセールもそんなに長く続かないんだけど、あなたはセール商品のチョコレートを2個買おうとしているけど、実はそのセールっていうのは今あなたが持ってきたチョコレートなら3個買っても1つ分の料金はいらないっていうきゃんぺーン内容だから、今なら2の値段3のチョコレートを買えるよ。」というような、省略された長々とした暗黙の想定を補い、おばちゃんの伝えようとする命題を理解します。
これはなぜなのでしょうか(2b)

 また、おばちゃんは親切で声をかけてくれたのにも関わらず、「何を言っているんだろう」「誰に言ってるの?」「俺を馬鹿にしているのか?」というような誤解が生じることもあります。
このような誤解は日常のコミュニケーションにおいては(少なくとも僕にとっては)珍しくありませんが、これはなぜ起こるのでしょうか(2c)

今後関連性理論を勉強していけば、これらの問いについても分かるんだろうと思います。(遠い目)

1.2.3 Guiding interpretations

(4) The key idea within relevance theory is that addressees begin by assuming that the communicator has an interpretation in mind which justifies the expenditure of effort involved in arriving at it, i.e. which provides enough cognitive rewards for it to be worth expending the mental effort involving in reaching it… This could be understood as resting on assumptions about what it is rational for communicators to do and for addressees to expect.

これは上で述べたことと似ています。要は、受け手は「発信者は私に関連のあることしか言わないし、無駄に注目させたりはしないだろう」という期待をもって発信者に注目するということです。
別の言い方をするならば、聞き手は「注目させるからには何かあるんだろう」という予測をもって発信者に注目するということです。
このことは、私たちが子どもの頃にして怒られたあの悪戯を思い出せば分かりやすいと思います。

(5) A: ねぇねぇB君!
B: 何?
A: 呼んだだけ~!!!!!!!!!!
B: (イラッ)

B君がイラッとしてしまうのは、「注目させるからには何かあるんだろう」というB君の期待(想定)をA君が裏切り、処理労力に見合わない認知効果しか得ることができないからだと考えることができます。

1.3 Sentences, utterances and prepositions

 ここで、key termとなるいくつかの語の定義を明らかにします。

ambiguous
日常的な用法では、単純に一つ以上の意味を持つことですが、言語学的には「一つ以上のコード化された意味を持つこと」をambiguousといいます。
即ち、通常ambiguousとは情報の受け手がdecodeする際に「いくつか解釈ができるけどどれなんだろう」と感じるものであるのに対し、言語学的なambiguousとは、情報の発信者が頭の中で考えていることをencodeする際に「こうともとれるし、こうともとれる」というような複数の意味を込めたもののことを指します。

utterances
ここでのutterancesとは、耳や目で物理的に知覚されるメッセージのことで、特定の人が特定の時間に、特定の場所で発したものを指します。
全く同じ発話をしても、場合によっては受け取られ方が異なることもあるのが特徴です。
つまり、思っていることを声に出したり、文字に書いたりしたら、それらはその時点で全てutterancesになります。

sentences
ここでのsentencesとは、言語化される以前のことばのことを指します。
だれかが以前使用したかもしれないし、何度でも使用することができる、言語学的な抽象概念です。
sentencesの全てがutteranceになるとは限らず、utteranceになったとしても、それはsentencesとは本質的に異なったものになります。
先ほどのutterancesの説明と絡めて考えると、このブログにsentencesは一切存在せず、全てutteranceで構成されていると言えます。

preposition
ここでのprepositionとは、一言で言えば論理的性質のことです。
utteranceを手がかりに、そのutteranceを特定的・具体的に再現します。
utteranceに出てきた代名詞や代動詞などを具体的に補うイメージです。

先生に英作文の問題を添削してもらって、 “This is not a sentence.”という訂正のコメントを貰っても、“Yes, of course this is not a sentence. This is an utterance.”と返せば言語学的には正解になるんだね、と言ってMochi君は笑っていました。(笑)

1.4 Communication and cognition: a fuller overview
1.4.1Linguistic and non-linguistic communication

 言語学が答えを求める問いには、言語とは何か、どのように言語は習得されるのか、どのように言語は使用されるに至るのか、といったものがありますが、「言語」というものを考える時、どのように音声・文・動作といったutteranceを他者に理解させるかというという問いは有効です。
特に関連性理論では、ことばの意味と関連性をどのように理解し、utteranceが何を意味するのかという、いわば発話の目的を説明することが目的となります。
1.4では主に、コミュニケーションと認知についてざっと説明します。

1.4.2 Codes and inference

 以前のまとめでも少し述べましたが、ここではcodeinferenceについておさらいします。
コード(code)とは、常に特定の意味やメッセージを全く同じように伝達するものです。
信号機やルーモス信号がコードの例です。
日や気分によって、赤信号が「進め」になったり、SOSI Love Youという意味になったりはしません。
対して推論(inference)とは、コード化された言葉と発信者が伝達しようとする意図の間にあるギャップを埋める認知プロセスです。
私たちが推論するとき、その発話の前にあるいくつかの前提を下に結論を下します。
三段論法みたいな感じですかね。

 例えば、上司がAさんに「この部屋、暑いね」と言ったとします。
事実として部屋は暑いのかもしれませんが、上司が伝えようとした命題は他にありそうな気がします。
ここに発話と意図のギャップがあり、それを推論で埋めるわけです。
Aさんは、「確かにこの部屋は暑い」「この上司は暑がりである」「この上司はいつも遠まわしに依頼をする」「この上司は冷房の風が苦手だ」といったような様々な前提から、「窓を開けましょうか?」と提案するに至ります。
関連性理論は、まさにこのプロセスのところを説明しようとするわけです。

----------------------------------------------

今回は前回までのおさらいのような感じでした。
今後詳細に読み進めて、またUPしていこうと思うので、今後ともよろしくお願いいたします。