姜尚中 (Kang Sang-jung) 氏の新書、『心の力』を読みました。
心の力 (集英社新書) | |
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氏は、漱石論やマックス・ウェーバーに関する著書を出されていて、本書では漱石の『こころ』とトーマス・マンの『魔の山』を基に、今日生きる上で必要な心の力について考察します。
本書の特徴は、『こころ』と『魔の山』の登場人物を基に氏が作ったオリジナルストーリー、『続・こゝろ』にあるでしょう。『こころ』で先生の遺書を読んだ「私」 (本書では、河出育郎)が、戦後に箱根、ドイツなどの場所を訪れてもう1つの物語の主人公であるカストルプと出会い、お互いの過去の経験(つまり、原作のストーリー中の経験)を語り合うというものです。氏は本論を進めつつも、『続・こゝろ』を各章ではさむことで、今はなき“ゆとり”を持って生活していた2人の姿を我々に見せ付けます。そこで私達の生活にはない何かを見せつけようとしているのだと思います。(また、「夢枕」などの小ネタが所々はさまれているのにもユーモアを感じました。)
本書の以下の箇所に、氏の姿勢を伺うことができます。
本書は、これを読めば心の実質を太くできるノウハウを説こうとするものではありません。むしろ、不確実きわまりない時代の中で、心の力とは何なのか、それは何を意味するのかを、物語の力を通じて型ってみようとする、いわば「物語人生論」なのです。 (p.18)
「物語人生論」というのは、物語を通じて他者の心について理解し、その理解を私達の生き方にも反映させようとする試みです。現に自分も『こころ』を読みながらKの悶々とした気持ちを追体験していますし、高校生の頃よりも大学生の方が少しはKの気持ちが分かるようになったと思います。したがって、本書が試みた『続・こゝろ』は文学的批評 (例えば、育郎の結婚相手とか、文体とかに関するいちゃもん) を行うためのものではなく、そこから私達が何を感じるかという点に重きを置くべきでしょう。
本書の概要は要約をしようとすればできるのかもしれません。(自分にできるかどうかはともかく。)しかし、上で述べた、「物語」を通して心の力を伝えるという試みを無視すべきではないので、最も印象に残った三つの箇所を示すにとどめたいと思います。
上にも述べましたが、本書は『続・こゝろ』を読みながらの方が趣旨にもあいますので、興味をお持ちのかたは、是非手にとってお読みください。
※引用箇所にページ数以外の詳細がない場合は、『心の力』からの引用を示します。
■代替案 (オルタナティヴ)
なぜ生きづらいのか、という問いに対する答として、氏は「代替案」の喪失を指摘しています。昔は、ある現実や価値観が絶対的ではなく、それ以外の道というのも残されていました。例えば、今生きている私達には、ぼんやりとした「王道の人生」というのがあるのではないでしょうか。高校を出たら大学に進学して、良い企業に就職をして、30歳までに結婚をして、...といったように、このように生きたいという価値観があります。しかし、この価値観が絶対化してしまうと、それ以外の道というものが考えられなくなってしまいます。
お世話になっているバイト先の方がよくおっしゃるのですが、大学に入らなければならない、というのは1つの価値観にすぎず、バックパックで世界中を旅したり、留年してでもやりたいことをひたすらやったり、そういったことをする人は最近少ないのではないでしょうか。(大概、この話になると、私の生き方はあまり面白くないとか、もっと冒険しなさいという話になるのですがw)
他にも、いじめを例に挙げて説明されています。中学生の頃は自分が属しているコミュニティは絶対的なものと捉えてしまいがちです。しかし、いじめられているコミュニティにずっと属している必要はなく、他の代替案 (注:氏はこの字にオルタナティヴという読みを振っています)を選んで、たとえば新しい部活に入ったり新しい学校を選んだりすることも可能性としては十分あるはずです。しかし、現実にそうする人は少なく、今自分がいるコミュニティに代替案を想定できる人は少ないのでしょう。個人的な話で恐縮ですが自分も中学の頃はいじめられていても、他のコミュニティ (主にボランティア) があったためにそこまで息詰まることなく過ごせたように思えます。(今となっては強がってこのように言うことができるだけかもしれませんが。)
(補足)
以前、「豊かさとは何か」という記事で、剰余性 (目的達成の手立て以外の無駄なこと) と指摘しましたが、これもある目的を達成するという価値観以外の代替案を得られるという点では、関連しているのかもしれません。
さらに、氏は代替案を考えることこそ心の豊かさであると述べています。
代替案を考えられない心は幅のない心であり、体力のない心だと思います。言い換えれば、心の豊かさとは、究極のところ複数の選択肢を考えられる柔軟性があるということなのです。現実派いま目の前にあるものだけではないとして、もう一つの現実を思い浮かべることのできる想像力のことなのです。 (p.71)
時代として、代替案を考えにくい世の中にあるのかもしれませんが、だからこそ想像力を働かせて代替案を求める姿勢を忘れたくないですね。学校の先生や予備校講師としては、王道コース以外になかなか目が行きにくいこともあると思いますが、それこそ文学などを通して「こうでもありえた世界」というのを体験することで、代替案を考える力はつくのかもしれません。
■卒業証書をもらっても
ちょうど大学を卒業しようとしている自分にはぴったりの話題だったのですが、大学を卒業することの意味とは何なのでしょうか。『こころ』の「私」もこれと同じ問いに直面していたようです。
私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見える丈の世の中を見渡した。それから其卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室の真中へ寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。又自分の未来を想像した。すると其間に立って一区切を付けている此卒業証書なるものが、意味のあるような、又意味のないような変な紙に思われた。
(青空文庫、「先生と私」32、『こころ』より)
最近は自分自身、大学の追いコンに参加させて頂く機会が多いのですが、友人と「実感が湧かないね」とよく話します。そういう意味では、卒業証書を丸めて望遠鏡代わりにする「私」の気持ちが分からないでもありません。
そんな彼には、大学に行ったにも関わらず、官僚職などにつかないで本を読んでいる「先生」が興味深かったのかもしれません。『こゝろ』の冒頭部は、大学卒業を控えた青年が真の「先生」を見つけると言うこともできます。たとえ、「先生」は学校の先生ではなくても、青年にとっては「この人についていきたい」「学びたい」という相手こそが「先生」だったはずです。以下の引用箇所もそれに関するものです。
『こころ』を読んだ感想として、こんな声をよく耳にします。
「あの『先生』は、どうして『先生』なの?」
たしかにそれは『こころ』を初めて読んだときに感じる素朴な疑問です。先生は大学教授でもなく。高校や中学の教師でもありません。在野で何かの教えごとをしている人でもありません。それどころか、職もなく、地位もなく、親の遺産だけで食べている「高等遊民」です。...
では、なぜそこまで先生に入れこむのかと言えば、「先生」としか呼びようのない何かがその人にあるからです。凡百の教師にはない、たまらない魅力があるのです。 (pp.115-117)
『こころ』の英訳である "Kokoro" を最近、英会話教室の授業で使用しましたが、「先生」は Sensei と訳されていました。訳注として、
The English word "teacher" which comes closest in meaning to the Japanese word sensei is not satisfactory here. (McClellan, 2010, p.1)と書いてあったので、職業上の先生ではない意味での「先生」に青年は出合えたのかもしれません。
すると、自分は先生にはたくさん出会ってきましたが、「先生 (Sensei) 」にはどれだけ出合えたのかまだ分かりません。本書を読んでいる自分自身もまた、大学卒業を控えた「私」であり、「先生」を探すことになるのかな、という思いが過ぎります。
■ 偉大なる平凡
この言葉はトーマス・マンの『魔の山』で出される言葉らしいのですが、何しろ自分は『魔の山』を読んでいないため、言及するのは本来避けるべきなのですが...以下の箇所は、とても面白く読みました。
私はここまで代替案の価値観、ということを再三述べてきましたが、それがまさにここに関係します。「項でなくても、あれがある」「あれでなくても、これがある」。できるだけたくさんの選択肢を考え、その中から自分がいちばんよいと思う方法をとる。それが、ハンス・カストルプ的な平凡なのではないでしょうか。それはただの凡庸ではなく、幅と深みと余裕のある「偉大なる平凡」です。 (p.143)
もちろん、社会や時代とまったく無関係に生活することなど不可能で、氏は決して、俗世間から離れろといった点を突いているのではありません。むしろこの世の中で生きる上で、唯一の価値観にとらわれずに、幅を持ちながら対応する。あるいは、他人の意見を聞きながらも、「染まらない」ということを大切にするべきなのかもしれません。
→そう言われると、自分は簡単に染まる人間な気がします....。自戒の意をこめてw。
とまあ、相変わらず、読書感想文なのかエッセイなのかよく分からない文章になってしまいましたが、本書を読みながら自分の考え方を顧みてこれからの生き方に反映させようとするという意味では、「物語人生論」の趣旨には意外とあっているのかもしれません (苦笑)。
古き良き時代の回想にとどまらず、今日の社会が持つ課題にも言及しながら論が進められており、納得もしやすかったです。簡単に読めますが、読み終わって考えると含蓄の多い文章だったと感じます。『こころ』や『魔の山』をまだお読みでない方も、説明があるので理解に支障はないと思います。
参考文献
Soseki Natsume. (2010). "Kokoro". [Translated by McClellan, E.] Peter Owen.
姜尚中. (2014). 『心の力』.集英社新書.
夏目漱石. (1914). 『こころ』. 青空文庫 (http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card773.html)
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